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自分で大胆に軌道を変えることの難しさ

こんにちは!こちらベトナム・ハノイは真夏の暑さがやってきて、プール三昧の毎日です!子育て中は身近にプールがあるのってとても助かるなあと実感している今日この頃です。

さて、今回のコラムではこの半年、ずっと悩んでいた・考えていたことについて、その気持ちの揺れとプロセス、その結論を綴ってみたいと思います。どうぞ最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

この半年間、ずっと悩んでいた・考えていたこととは、任期の残っているベトナム生活に自ら終止符を打ち、(夫はハノイに残して)母子で日本に帰って生活をしようか…ということでした。(あ、夫婦関係に亀裂が入ったとかそういう話ではありません!)

与えられた範囲の中で生きてきた14年間

私たち家族は駐在生活が今年で14年目に入りました。これまで香港、サンフランシスコ、シアトル、そしてハノイと移動してきました。でもそれは自分達の意思ではなく、全て夫の会社の命令で移動してきたわけです。そしてオフィスに通える「範囲」&会社から言われる予算の「範囲」で家を選び、その家から通学できる「範囲」で子供たちの学校選びなどをしてきました。そうです、レールが敷かれた上を生きてきたわけです。ですがハノイに来てそこに少し変化がありました。何が変わったかというと「学校」なんです。子供たちはみんな小学校に入る年齢。基本的にどこでもスクールバスが送り迎えしてくれるハノイには、候補となる学校がたくさんありました。そして会社から「範囲」を一切指定されません。払えると思うならどんなに高額な学校に入れてもいいし、無料のベトナムの公立学校に入れてもいいし、もちろん日本人学校に入れても良い。私たちはこれまでの経験から無意識に「範囲」の中で選ぶ/決めるということに慣れてしまっていて、「なんでもいいよ」と言われると戸惑いがありました。それでも、自分達の基準や思い〈学費、通学時間、校風、インターに入れたいという思い、施設など〉を加味しながら総合的に判断し決めました。

ハノイでの学校選びと葛藤

当時、シアトルから引っ越してきた私たちはハノイの空気の悪さや子供たちを遊ばせる施設の無さに愕然としていました。それ自体はしょうがないこと。発展真っ最中のこの国。シアトルのようにはいかないのは頭ではわかっています。でもいざ、子供たちをこの地で育てると思った時、少しでも環境の良い学校に入れたいと思いました。だから少し、いや、かなり学費において背伸びをした決断をしました。

子供達が今通う学校は本当に素晴らしい学校です。国際色豊かで、先生たちもみな雰囲気が良く、子供達もとても気に入って通っています。しかし、入学し少しずつあれれ?と感じることが増えてきました。日本人が思ったより多かったのです。インターナショナルスクールであるにもかかわらず日本語がクラスで飛び交う環境。また、アジアのインターナショナルスクールはネイティブ英語スピーカーよりも英語を第二言語とする生徒が半分以上いることが多く、特に低学年の生徒たちの(英語での)会話はヨチヨチ。我が子たちの英語力もなかなか伸びないことがモヤモヤの始まりでした。そして言語力は思考力に直結するからこそ、不安は大きくなっていきました。

「言語力も中途半端、思考力も中途半端…こんなに高い学費を払ってるのにこれじゃあまずいじゃないか…」

「コア言語(日本語)をしっかり身につけて、思考力を育て、それを言語化できる力を育てられるよう今の環境を変えたほうがいいんじゃないか…」

「その上で英語は後から学んでも遅くないんじゃないだろうか…」

そんな思いと問いがぐるぐると激しく頭の中を回るようになったのです。そこから「ハノイ生活に終止符を打ち日本に帰って日本の学校に入れるのはどうだろうか…」と、様々な選択肢を並べ、シミュレーションをしてみました。そして半年間、悩み・考えたのです。

今あるものを捨てて軌道を変えることの難しさ

結論、私たちは今の状況を大胆に変えられませんでした。来年もまた、家族みんなで、このハノイの地で、今の学校に通わせることにしたのです。捨てられないことが多すぎました。異国暮らしの刺激や学び、家族で一緒にいること、何だかんだ言ってもインターナショナルスクールで様々な国籍の子や親と絡み合う楽しさ豊かさなど、大事にしたいものを再確認した上で、それを捨てて軌道変更することができなかったのです。

また、自分で決めて今あるものを捨てて、それで後悔したらどうしよう…、責任は全て自分にかかってくる…そんな思いもまた軌道変更しようとする気持ちを抑える要因となっていました。そして「会社が帰任の命令を出してくれたら楽なのに…」と言っている自分にも驚きつつ、「今あるものを捨てて軌道を変える」ということの難しさを実感しました。

この半年、航空会社の客室乗務員をスパッとやめた時のことを思い出していました。あの頃、特にその仕事が嫌だったわけでもなく、他にものすごくやりたいことがあったわけでもないのに、すっぱり数年で辞めたんです(笑)タダで海外に行ける権利も、家族をタダで旅行に連れて行ってあげられるメリットも、客室乗務員のステイタス(?)も、何の未練もなくスッパっと捨てて、「はい、次!」みたいな感じで辞めました。あれから15年…年を重ね、家族もできて、「握りしめる」気持ちが強くなっているなと感じました。自分の与えられている(良い)ものを手放して、違う世界に行く。それは耐えられない程今の環境が嫌か、どうしてもその先にやりたいこと/行きたい場所がある、このどちらかがないと自ら大胆な軌道変更って本当に難しいのだと感じました。

私の中にあった様々な疑問と葛藤は自分の”存在証明”だった

大胆に軌道変更ができない自分にちょっと不甲斐なさを感じていた矢先、「問うとはどういうことか~人間的に生きるための思考のレッスン〜(梶谷真司 著)」という本を取り上げてBook Clubを開催しました。そしてその中でとても印象に残るフレーズがありました。

“物事に疑問を持つのは、自分が生きるそのままの現実に出会うことであり、言わば、自分の”存在証明”である。私たちは問うことではじめて、自分の人生を生きることができるのだ。”

問うとはどういうことか~人間的に生きるための思考のレッスン〜P.32

ハノイ生活で私の中に沸々と生まれた様々な疑問と葛藤は、自分の”存在証明”だったというのです。「このままじゃダメなんじゃないか!」という自らの疑問と対峙する中で、自分の大切なものや譲れないものを再確認し、やっぱりこれでいい!と決めた。それは自分の人生を生きているという証明だったんだと、この本に気付かされました。

大胆に軌道変更することが大切なわけじゃない。自分の人生を自分らしく作っていく時、今握りしめているものの大切さを再確認したり、時に中途半端に握りしめているものを手放したり、全ての責任を追う覚悟で軌道変更したり…その時その時に沸き起こる問いと丁寧に対峙しながら決断し、自分の存在証明をしていけばいい。

大胆に軌道変更できない自分を責めなくたっていいんだと、Book clubを経て慰められた気がしました。

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