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18才意識調査から見る「希望」

まわりーです。大学院に入学しソーシャルジャスティスと人権を専門的に学び始めて1年が経とうとしております。先日研究活動をスタートさせるために行っている調査活動の中でたまたま遭遇した資料について、tea timeで皆さんとお話ししたくなりテーマにさせていただきました。

資料は日本財団が18歳を対象に継続的に行っている、『18才意識調査』より、「第46回テーマ「国や社会に対する意識」(6カ国調査)」です。

参加したのはこの面々。とってもいい時間となりました。

希望とはどんな感情?最近希望を持っていることは?

チェックインは「希望」という感情について。

  • ワクワクした気持ち
  • 将来に対して大丈夫と思える、期待が持てる
  • 失望、不安、不満の反対にあり、行ったり来たりするかも、それらの感情から湧いてくるのかも
  • 希望の土台にあるのは安心、安心して初めて湧いてくる
  • 過酷な状況の中で見いだせた
  • 将来につながりそうな出会いがもたらしてくれた

エピソードとして、どんどん自立していくお子さんや、自分が活動していこうとしている領域にぴったりの人との出会い、明らかにおかしな国の法案に対してデモを起こしているたくさんの人々、などなどがありました。

18才意識調査「第46回テーマ「国や社会に対する意識」(6カ国調査)」

調査概要はこちらです。日本のほか、アメリカ・イギリス・中国・韓国・インドの合計6か月の18歳前後の若者に行った調査で、各国1000名にインターネット調査を行っています。注釈にある通り、インターネットにアクセスができる、この調査にたどり着くコネクションがあった、など前提条件の時点で回答者の属性や背景には偏りが生じていることは考えられます。

今回は、この29ページの資料の中から抜粋した5ページを参照して対話をしました。

自分のこと、自国のこと

まずは自分の国の将来について。回答がグラデーションや順番になっているのではなく、緑が良くなる、ピンクは悪くなる、青が現状維持、グレーがわからない、です。日本は唯一、良くなると答えた人より悪くなると思う人の方が多く、変わらない・わからないと答えた人が半数もいる、というのが特徴的です。良くなると思えることを「希望」と解釈したとき、中国やインドで80%以上が自国に対して希望を持っているとき、日本は約14%のみが自国に希望を持てているという結果でした。

この結果の背景にある詳細を見ていきましょうと、「自国について」「自分について」のアンケート結果を共有しブレイクアウトルームで話してもらいました。

このグラフを見て、みなさんはどんなことに気づかれますか?疑問に思うことや、もっと知りたいこと、こういうことが理由かも、と思うことがあれば、ぜひこちらから書き込んでいただき、他の読者さんと視点を共有し合えればうれしいです。

私としては個人的に、「自国に満足している」が68%で第3位、「自国は国際社会でリーダーシップを発揮できる」が23%で最下位という2つの背景が気になりました。自国が国際社会でリーダーシップを発揮する必要がないと考えているのかもしれません。回答した1000人の日本の18歳のうち、70%近くが満足していると答えている一方、アメリカは56%で最下位、イギリスは62%で5位。アメリカやイギリスの18歳は日本の18歳よりも自国に満足していないそうです。これをみなさんならどう読み取りますか?

イマドキの18歳は!というよりは「まるで自分を見ているかのよう…」

次に「自身と社会の関りについて」です。まずはこちらについてもぜひ書き込んで、文字を通じてのtea timeのようなシェアを体感してみてください。

参加されていた方々の言葉の中で印象的だったのは「最近の若者は!」という人が一人もおらず、自分も18歳の頃はこうだったかもしれない、いまでさえこんなに年齢は大人だけど、回答には大差ないかもしれない――という謙虚にも感じる発言でした。

「自分は大人だと思う」「自分の行動で国や社会を変えられると思う」といった自立性・自律性を問う質問にYESと答えた人がどちらも27%いたことについて、日本の18歳のうちこんなにもたくさんの人がそう感じているのか、と安堵もしましたが、他の5か国と比べると劇的に少ないことは明らかです。一方で「役立つことをしたい」と願っている人は6か国中最下位ではありながら60%以上と他国とさほど大差ありません。

私はこの結果が、いかに社会が・大人が、若者に主導権を与える機会を奪い、自己効力感を持たせる機会を失っているかを物語っていると感じます。社会が自ら、社会の発展に逆らうことをしているように見えるのです。思いのある若者の願いや情熱を踏みにじったり、抑制したり、牽制したりするような言動を取ってはいませんか?良かれと思ってしているアドバイスは、若者の思いや彼らから見える世界に共感し尊重したものになっていますか?

自分より大きな何かに表現する「怒り」や「葛藤」に希望を感じる

DAIJOUBUのクラスのいいところは、安心安全な空間で発見や思いをシェアしあいながら、お互いの解釈の引き出しを増やし合っていくところだと私は感じています。誰もが何を言ってもいいと感じられる空間は、誰が何と言っても聞く耳をみんなが持っている空間です。「だいじょうぶな場」では人の話をすんなり聞くこともできるので、学びが深く、立体的になる感覚があり、これはDAIJOUBUのクラスに参加して下さる多くの人がおっしゃってくださることです。

この日の対話の中でも様々な話をお互いに共有し合いながら、最後、「こんちきしょう!」という感情には「希望」が内側にあるのでは?、というコメントがありました。感情はエネルギーで、それぞれの感情は自分を動かすための原動力となります。自分の目的をブレずによくわかっていて、自分の感情を、自己弁護や自己防衛のためのガードを外しながら手のひらに優しく置いて撫でるかのごとく大切にキャッチできると、その感情のエネルギーを活用して大きく確かな行動を生み出せるかもしれません。怒りや葛藤と言った感情はご想像の通り、特にとても大きなエネルギーを持っています。早く遠くまでいける、大きな感情エネルギーです。

では、「こんちきしょう!こんなのおかしい!変えてやる!」と若者が、学生が、子どもが、言ったとき。周囲にいる大人や仲間がどんな言動を取れたら、その「こんちきしょう!」の中にある「希望」が「失望」に変貌を遂げず、希望のまま大きく育ち形となっていくのでしょう?

その回答を宿題にしてこの日は終わりにしました。ぜひその回答も、こちらから書きこんでみてくださいね。

「〇〇してあげる」よりも、そのまま舞台を明け渡す

助けてあげる、支えてあげる、教えてあげる、~~してあげる―――。EQを深く勉強するようになってから、そういった言葉に違和感を感じるようになり、DAIJOUBUのEQのクラスや認定コースではほとんど使っていないと思います。「やらせる」など論外です。自分自身の子育ての中でも、気を付けている言葉のひとつです。DAIJOUBUでいっしょに活動するさおりさんは、ぶどうの房のように、ピラミッドの反対のように、と美しい表現をDAIJOUBU発足当初の頃にされていてすごく好きだなぁと思ったのですが、DAIJOUBUの活動の中でEQとEquityに真摯に取り組んでいると、「上下」という概念がなくなります。相手がどんな誰であれ、1人1人の声を同じ大きさで聞きたい。このクラスでは「若い人を助ける必要なんかないのかも、私たちよりも十分今の時代らしい価値観や感覚を持っているから」「早いこと表舞台から席を譲って」なんて発言もありました。

誰かが決めてくれる絶対的な答えではなく、対話や探求の末に「こう感じるな」「こう思うな」という自分の中に生まれ結ばれる解釈をキャッチすると、自分が自分を生きている実感となり、学びは立体的になります。それを共有出来たら、そんな学びは双方向で、その空間に参加するみんなで学び合えることに。私のようなファシリは場を運転するだけで、目的地に誘導する係ではありません。

『若者が「希望」を持てる社会の方が本当にいいのか』と社会哲学のようなそもそもの問いを立てることもできますが、私は「希望」が持てるのは生きるうえで健康的なことだと思います。若者が「希望」を持ち生きていける社会に変革するためのポイントは、DAIJOUBUがつくろうとしているEQやEquityの空間のような、一人一人の声が同じように尊重され、聞かれ、受け取られ、他のひとりひとりの声を聞きたいと願う人が多くいる社会を作れるかどうかなのではないのでしょうか。

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