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フルインクルーシブ教育がもたらすものとは

 以前もコラムでインクルーシブ教育と日本の特別支援教育について述べた事があったかと思います。その時は、ちょうどニュースで「日本の特別支援教育は分離教育であり、インクルーシブとは程遠い」と国連から評価されたこともあり、その時、考えたことを述べました。

 今回はちょうど今読み進めている書籍「イタリアのフルインクルーシブ教育――障害児の学校を無くした教育の歴史・課題・理念 」から、私自身の考え方が更新されたり、様々な気づきや改めて考えたことを述べていければと思います。

フルインクルーシブ教育を実現しているイタリアの学校の仕組み

 イタリアは世界でも数少ないフルインクルーシブ教育を実現しているそうです。つまり、日本でいう特別支援学級や特別支援学校などはなく、障がいがる子どももみんなと同じ通常の学級で学んでいます。ここでは、環境面でどんな仕組みなのかを簡単に紹介したいと思います。

 まず学級編成ですが、生徒数を少なく、でも教員は多く配置して小規模化を図っているそうです。通常は一学級25人程度と規定をされてますが、障がいがある子が在籍している場合は定数が20名まで軽減されます。このように、クラスを小規模化したうえに学級担任(カリキュラム担任)のほかに支援教師(支援担任)が加わりチームで対応しています。

 支援教師は、学級担任とともに、障がいをもった子どもへの個別支援をしたりと、日本でいう特別支援学級の担当や、特別支援コーディネーターの役割を果していますが、大きく違うのが支援担当ではなく、支援担任として位置づけられており、学級全体への責任もあります。2人の担任で学級を運営していくという方針です。

 また、重度の障がいをもった子どもが在籍する場合は、支援教師の他に教育士が配置されます。教育士は教員資格は有さず、生徒の生活面の支援を担っています。

学校を社会の縮図に…

 この本の中で印象に残った文章の1つに以下のようなものが

学校というのは、何よりもオープンで、アクティブで、物事の指針示す社会的な機関として理解されているべきである。学校は、文化や価値観を構築してそれを練り上げていく場所であって、民主的な性格と人間形成のプロセスの最も深遠な意味を探究できる力を備えている。・・・・学校は誰一人として排除されることなく、個人あるいは集団として誰もが将来の道すじを作り、人間形成のための経験を積むことができる場所になるのである。

 このような考え方に沿ってイタリアの「カリキュラムのための国の教育指針では、「学校はあらゆる種類の多様性、障害、不利益の支援に特に配慮するように努めながら、・・・・その公共的機能を十分に果たすこと」と記されているようです。

 これを見たとき、私の中で、改めて「学校は社会の縮図であるべきだな」と感じました。現代では、「多様性」というのが本当に多く求められる世の中になっています。国籍や人種、障がいの有無や性別、文化…多種多様な人々のそれぞれを尊重しながら、社会を形成していくというのなかで、日本でもまだまだ課題が少なくないと思います。

 実際、私自身も「多様性」を尊重していくうえで、時に、難しさや戸惑いを感じることがたまにあります。その度に「自分はまだまだだな…」と思ったりすることがあります。そして、その背景の要因の1つとして、私個人を振り返れば、経験不足といったことも感じています。もし、学生時代に同じ教室で多種多様な人たちと生活していくことが当たり前だったら・・・きっと大人になった時にもっと自然にそして今以上に多様性を尊重するということができる気がしました。そして、それは今の子どもたち(未来の大人たち)にも言えることだと思います。

 多様性、もっと言えばインクルーシブな社会が求められるこれからの時代だからこそ、その文化や価値観を構築するために、学校もフルインクルーシブであることが理想だなと感じました。フルインクルーシブは誰一人として取り残さないし、その中で、育った子どもたちが大人になっていく世の中は誰一人として取り残さない社会になるのかなと感じました。

 ただ、現在の日本の公教育の現場の現状を考えると、「じゃあ、すぐにフルインクルーシブにしましょう」は暴論ですし、実際、そのためにはクリアしなければならない諸問題が数多く存在すると思っています。なので、日本でフルインクルーシブ実現するためにどうするかといったことは、また別の議論ではありますが、いつか実現すればいいな…とも思っています、そのために自分ができることは何かなと考えることもあります。

専門性が「万人のための教育」の質を上げる

 イタリアのフルインクルーシブ教育の考え方の1つには、「万人のための教育」という考え方もあるようです。これは、モンテッソーリ教育で有名なマリア・モンテッソーリ氏の影響もあるようです。障がいをもった子どもたちへの取り組みは、一般的な教育の質とともに向上するので、結果として、障がいをもっていない子どもたちへの教育の質も上がっていきます。なので、障がいをもった子どもたちへの知育などを「万人のための教育」として障がいをもっていない子どもたちへも位置づけるといった考え方です。

 この辺りは、私自身も教員時代に実体験として何度もあります。クラスに特性をもった子どもがいれば、その特性に合わせて授業をユニバーサルデザインしていきましたが、その支援は他の子どもたちにとって大きな助けとなりました。一般的な教育の質が障がいをもった子どもへの取り組みとともに向上するといったことが妙に腑に落ちました。

 現在、イタリアでも課題になっているのが特別なニーズを必要とする子どもが増えてきたことで、教員の専門性がより求められるようになっていることだそうです。専門性を向上するために様々な取り組みを行っているようですが、この課題は現在の日本でも共通の課題の1つだと思います。そして、この課題においては、もしかしたら現在1番取り組みやすいものかもしれません。

 イタリアのように2人担任制にするとか、1クラス20~25人にするとか環境面の整備は、正直現状ではかなり難しさがあるかと思います。ただ、教員の専門性を向上していくということは、それに比べて実現するまでのハードルが少なかったり低い気がします。専門性が今以上に向上していけば、結果的に教育全体の質も上がっていくと感じました。官民一体となってこの辺はできないかな…と考えることもあります。

イタリアのEQスコアは世界トップ

 この本の話しを先日、まわりーとした際に、まわりーから「そういえば、イタリアってEQスコアが世界で一番高いんですよね」と聞きました。要因は、正直分かりません。元々ラテン気質みたいなところもあるから⁉(笑)とか要因は色々ありそうではあるのですが、もしかしたら、フルインクルーシブ教育がもたらしている部分もあるのかもしれません。だとしたら、フルインクルーシブ教育が日本でも実現したら、そのような影響もあるのかもしれません。(日本のEQスコアは世界の中でも低いです)夏休みがもう少しで終わるこの時期、日本では子どもの自殺者が増えるという悲しいニュースも毎年のように聞きます。そんなニュースを全く聞かなくて、みんなが互いに尊重しあい、自分らしく生きていく世の中になればと思います。もしかしたら、フルインクルーシブ教育は、そんな世の中をもたらすのではと感じました。

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