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すべての人がDAIJOUBUな学校って?

 先日のNight Tea Timeで「DAIJOUBUな学校って?」というテーマで参加者の皆さんと対話をしていきました。今回はその中で出た様々な気づきを紹介していけたらと思います。

増加する不登校の数

 チェックインを行ったあと、よく報道でもあるように、増加傾向にある昨今の日本の不登校者数の推移について確認をしました。もちろん、その不登校の中身には他の選択肢があってあえてその選択をしているという子も沢山いるので、前提として、不登校=悪と決めつけるようなことはしていません。ただ、中には、「行きたいんだけど、行けない」や「学校がどうしても合わない…他の選択肢といったって学校しかないよ」「どこにも居場所がないよ」といった声も相当数あるのかなと感じています。

 小学校3年生~中学校まで不登校だったけど、高校から学校に行けて現在は管理栄養士になったという方の記事を紹介しましたが、そこにはこのようなコメントがありました。

「私の場合は高校に受け入れてくれる場所があり、学校に通えるようになった。これからの学校に期待することは児童や生徒の声に耳を傾け、変わっていく柔軟性を持ち続けてほしいです」

学校という環境側が変化する柔軟性をもつことは、DAIJOUBUな学校のための重要な要素かもしれません。

子どもを中心にする「大人の覚悟」

 まずは、以下の問いをもとに参加者の皆さんと対話をしました。

1.すべての人がDAIJOUBUと思える学校では、どんな言葉で溢れているか?

2.逆に絶対にどんな言葉がないか

3.先生たちはどんなスタンス?

4.その学校はどんな環境?

1番の問いで「すべての人」としたのは、学校には「子ども」「先生」「親」といった様々な立場が存在するので、あえて「すべての人」としました

この対話の中では以下のようなコメントがありました。

全てを子どもを中心に据えるということが大事。例えば、決め事も子どもたちの中から出てきたものを中心に決めていくとか。ただ、そのためには子どもの主体性を受け止める大人の覚悟が大切。映画にもなった「夢見る小学校」がその実践をしていてとても参考になった。

自身の経験から「先生っている?」と思った。抑圧されたという思いもあって反抗してあまり言うこときいてなかった(笑)…でも、同学年の人に指摘されたりすると言うこときいていた。自分たちでルールを決めるとかもし当時あったらよかったと思う。先生はそういう環境を設定して見守る立場とかになると色々なことが話し合いベースになってよいと思う。

すべての人がDAIJOUBUな学校では、どんな言葉がないか…言葉というより、DAIJOUBUではない学校では、「雰囲気」そのものがDAIJOUBUじゃない。抑圧された感じ、管理的な感じ…背景には子どもたちが信じてもらえていない。可哀想だなと思う。

先生たちのスタンスとかどんな言葉で溢れているかという面では、先生も子どもも保護者も「やってみようかな」という声が多い気がする。

 対話の中で共通していたことは、まず子どもを尊重(リスペクト)すること。それが土台にあるからこそ、子どもたちの主体性や「やってみよう」ということを大切にすることに繋がるということです。ただ、その子どもたちの主体性を引き出してそれを尊重することは、とても大変なことであるし、時間もかかることでもある。上手くいかないことも沢山出てくる。だからこそ、それらをすべて受け止める「大人の覚悟」がとても大切という言葉が印象に残っています。

「望ましい行動」を大人の都合で決めない

 とある小学校の実践がとても素敵でその記事も紹介しました。

「子どもを叱るのはもうやめる」と決めた公立小学校 褒める技術磨く先生たち、職員室まで明るくなった

https://news.yahoo.co.jp/articles/7a56ac620fd0b038bee03bb11b8670fb445565d8

大まかに記事のポイントは以下のとおりです。

1.スクールワイドPBS(学校全体で取り組むポジティブな行動支援)を導入

2.周囲の状況や環境をどう整えたら望ましい行動が増えるか。(問題行動を子どものせいにしない)

3.「望ましい行動」を大人の都合で決めない

問題行動が起こった際に、「怒ってその行動を減少させる(弱化)」のではなく、望ましい行動を促して、その行動が起きた時に褒めてあげる。「望ましい行動が増加して結果問題行動が減少する(強化)」ということを学校全体で行っているようです。

 この実践の背景には療育の現場でもよく導入されている「応用行動分析学」があり、科学的にもその効果が証明されています。

また、その「望ましい行動」を大人の都合で決めないといった点で、「学校の雰囲気がDAIJOUBUじゃないの正体はこれだ」「それって大人の都合でしょ」という言葉はDAIJOUBUな学校には無いというコメントもありました。大人が管理しやすい「望ましい行動」ではなく、本当に「望ましい行動」は何かを適宜考えていくことが重要だと感じました。

特性・障がいなどがある子どもたちもすべて同じ教室で学んだら

 みなさんは、この問いに対してどう感じるでしょうか?参加者の皆さんには、まず、以下の記事を読んでいただき、それから対話をしました。

子どもを分ける学校(8)「私、インクルーシブ教育の先生になる」 自閉症の級友に教わった共生

https://kachimai.jp/article/index.php?no=20231011222306

上記の記事は知的障がいと自閉症を特性としてもっているお子さんが中学校3年間を通常学級で過ごした様子が綴られています。

これを読んでもらったうえで、皆さんと対話して以下のようなコメントがありました。

学校は社会の縮図であるから(通常級、支援級、支援学校と)分けているのは不自然。一緒に過ごすことでその存在によって全員がどれだけ成長するかというのを保育士をやってきた経験からも分かる。どんな力を育めるかといったらそういった特性をもった人とどう関わってどうやって互いに上手くやっていくかという態度を育むことができる。この環境はあるべき環境だと思う。

保育園まではみんな一緒なのに小中で分かれるのが不思議。みんな一緒でいいし、共に食事をし共に教室を移動しという中で様々な学びの選択肢があってそれぞれに合った学びの方法ができるというのがいい。

特別支援というように分けているのは今の社会からみてもやはり不自然で、それってやはり大人の都合だよなと思った。でも、先生という立場に目を向けると、特に小中の先生はキツイだろうなと感じた。教える内容が決まっているが、それを「なんとかやらせなきゃいけない」といった環境があるのでそこを制度という面でそこも変えていかなければいけないと思った。クラスの人数も20人規模とか少人数できれば。

まず、クラスを少人数にすること。あるインターナショナルスクールにあるスローガンの1つに「学びは差別的でなければならない」あったが、まさにその通りで学び方が多様にあれば分ける必要もない。

小学校の時に同じクラスに今でいえばADHD?と言われるかもしれない特性が強い子がいた。今の私をつくっているのはその子のおかげで、今でもあの子が教室にいてくれてよかったと思っている。

フルインクルーシブ実現のためには制度面など課題はまだまだ沢山ありそうですが、コメントを聞いていてインクルーシブ教育が育むことこそ、DAIJOUBUな学校、DAIJOUBUな社会をつくっていくことだと感じました。

 次回のセルフサイエンスクラスでは、ここに関連して「多様性の尊重のために…」というテーマで行っていこうと思っています。

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