1. HOME
  2. ブログ
  3. 「多様性」の実現のために…気づけた3つのこと

「多様性」の実現のために…気づけた3つのこと

 先日、Morning Tea Timeで「多様性」をテーマに対話を行いました。このテーマにしたのには、日本の障がい者教育に対して国連から特別支援教育の廃止など6項目に対して勧告があったといった報道や私自身も以前は公教育、現在は療育(放課後等デイサービス)の現場にいて、モヤモヤすることもあり設定させていただきました。皆さんとの対話の中で私自身、腑に落ちたポイントや気づきを3つにまとめて紹介したいと思います。

「無知」が多様性の実現を邪魔している

「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」~ブレイディみかこ~

これは、今回多様性について考える中で出会った言葉で、『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の著者であるブレイディさんが息子さんに言った言葉だそうです。

 今回の対話の中でも身内に障がいをもっている人がいるといった方が何人かいました。その話の中で「私たちはこの子のことをよく知っているから大丈夫なんだけど、他の人は知らないから、居場所を探すのが大変だった」といった話がありました。アパートの部屋を1つ借りるだけでも、「障がい者」というラベルだけで、「暴れるんじゃないか?近所迷惑になるんじゃないか…」等々どんなことを考えていたのかは分かりませんが、断られることが多かったといったエピソードがありました。

 他にも「孫が長男に比べて喋り出すのが遅いが大丈夫か?」と相談されたといった話もありました。この年齢になったら一斉に喋り出すといったことは無いのですが…

このような偏見は無知が故に生まれているからこそ、教育の大切さを感じました。

「インクルーシブ教育」の前提は同じ場所で学ぶことが第一

 文科省では、共生社会の実現のために特別支援教育がインクルーシブ教育システムの構築に不可欠としています。そのために、以下の3つの考え方に基づいて特別支援教育を発展させていくとしています。

1.障害のある子どもが、その能力や可能性を最大限に伸ばし、自立し社会参加することができるよう、医療、保健、福祉、労働等との連携を強化し、社会全体の様々な機能を活用して、十分な教育が受けられるよう、障害のある子どもの教育の充実を図ることが重要である。

2.障害のある子どもが、地域社会の中で積極的に活動し、その一員として豊かに生きることができるよう、地域の同世代の子どもや人々の交流等を通して、地域での生活基盤を形成することが求められている。このため、可能な限り共に学ぶことができるよう配慮することが重要である。

3.特別支援教育に関連して、障害者理解を推進することにより、周囲の人々が、障害のある人や子どもと共に学び合い生きる中で、公平性を確保しつつ社会の構成員としての基礎を作っていくことが重要である。次代を担う子どもに対し、学校において、これを率先して進めていくことは、インクルーシブな社会の構築につながる。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1325884.htm

 ここで、特別支援教育が必要有るとか無いとか、文科省のこの考え方が良いとかダメだとかのジャッジをする訳ではありません。むしろ、中学校教員をやっていた時には特別支援学級をはじめとした多様な学びがあった方がそれぞれの能力を最大限発揮するために必要だと感じることが多々ありました。そして、今は療育の現場なので、それぞれのニーズに合わせて支援計画をつくって環境設定も整えたうえで指導を行うことで、数多くの成長の場面を実感することができています。だからこそ、こういった多様な学びの場が大切だと思う反面…それが世間の「無知」や「偏見」も生んでいるのではないかと感じました…

 現状、インクルーシブ教育の前提として、「それぞれの能力を最大限発揮する」となっているのでそうなると特別支援教育は欠かせないものとなります。事実として、年々特別支援学校や特別支援学級にいくお子様が増えていると思います。希望すれば、普通学級(普通という言い方もあまり好きではないですが便宜上使わせていただきます。)といった選択肢があるにしても特別支援学級を希望する方が多い印象です。(希望した人すべてが必ず入れるというわけではありませんが、基本親御さんの意見を尊重します。)特別支援学校を希望しているが、検査等々の関係で行けないといった話もよく聞きます。

 「それぞれの能力を最大限発揮する」ことが前提になり、多様な学びの場があるからこそ、様々な特性、個性を持った人と関わる機会が少ないことが「無知」や「偏見」を生み、それが多様性を尊重する社会の実現を邪魔しているのかもしれません。

 障がいではないですが、参加者の方の中でお子様が外国籍で日本語がほとんど喋ることができないのですが公立の学校に通っているといった話がありました。その中で、最初はインターナショナルスクールとかにした方が良かったか…と悩んだこともあったそです。ですが、学級の中で他の生徒に教えてもらいながら学ぶ姿や楽しむ姿を見てご自身のお子様はもちろん、他のお子様も学ぶことがあるように見えて、「公立でよかった」と感じたといったエピソードがありました。

 この経験は「無知」や「偏見」を無くすことに繋がり、それが多様性を尊重する社会の実現に繋がるのではないかと感じました。

 なので、インクルーシブ教育の前提を「それぞれの能力を最大限発揮する」から「同じ場所で学ぶ」を第一にもっていく。そして、その中で「合理的配慮」を追究していくことが大切なのかもと感じました。もちろん、特別支援教育をいきなり無くすとかは暴論ですし、特別支援教育といったものがそれぞれの能力を最大限発揮することに繋がっていることも事実ですので、なんか上手く合体していけたら…と感じました。

 そして、それを実現していくこと。つまり、多様性を認めていくことはブレイディさんの言葉にもあった通り、とてもしんどいことだと思います。特に教育現場の担任の先生の立場にたてばそれは痛いほど分かります。だからこそ、社会全体として多様性を認めていくこと大変だといったことや、もっと言えば自分の中に自分と違うものを排除しようとしてしまう感情が出てきてしまうこと…これをまず受け入れるといったことも大切かもしれません。そこを認識する、つまり「知る」ことで次の選択が生まれると思います。それが小さな一歩かもしれませんが、多様性を認めていく社会に繋がるかもしれません。

障がいは社会の側にある

 これは、参加者の方の言葉の中で出た言葉であったのと同時に私自身が現在勤めている現場での障がいの定義でもありました。障がいはその人の個性や特性と社会の方のミスマッチで起きている。その人の個性や特性を変えろというのは、全くリスペクトの無いことですしそもそも、個性や特性を変えろなんてのは無理な話です。ですが、社会は変えることができます。その社会を変えるためには、「無知」や「偏見」を無くすことが大切で、そのために教育から前提を変えていけたらと感じました。

 

関連記事

NEW articles

最新情報はこちらから