上でも下でもなく、横の関係を築く
こんにちは。大学生インターンのさきちです。今日は、以前書いたコラム「自分のことがわかると、他者のことも見えてくる」の続きのような話をしたいと思います。
「フラットに関わる」?
私は大学1年生の頃から教育系のボランティア団体で活動しています。以前のコラムでも紹介しましたが、福島県のとある学校の中学2年生を対象に、防災に役立つアイディアを考えてもらうビジネスコンテストを開催し、中学生がグループでアイディアを考えるサポートをする、というボランティアです。大学生ボランティアは、中学生の学びが最大化されるよう、中学生の輪の中に混じって、意見が逸れそうになったときに口を突っ込んでみたり、中学生がまだ考えきれていない部分があれば質問してみたり、そういうことをします。ただし、私たちが議論を先導したり、全て教えてしまうのではなく、中学生たちが自分で気づいて学べるよう、あくまでフラットな立場で関わる、という決まりがあります。
最近は、中学生との関わり方や仲の良くなり方が徐々にわかってきて、以前書いたような「かっこいい大学生にならなきゃ」という意識はほとんどなくなりました。
しかし、今年もオンラインではありますが、ビジネスコンテストの企画が無事始まり、その「フラットな立場」って何だろう、どういうことなんだろう、ということで最近すごくモヤモヤしていました。議論の場ではない、休憩時間や自己紹介の場面では自然に関われても、いざ企画に入って中学生の議論に混じるとなると、「この説明じゃ難しすぎるかな」「ここは直した方がいいと思うけど、本人たちがこれでいいと思ってるならそれでいいか」など、どこまで自分の意見を伝えていいのか、とても悩んでいました。フラットに、でも中学生たちが自分で気づいて主体的に学べるように、という匙加減がとても難しいと感じていました。
自分の意見を伝えることと気づきを促すこと
しかし、ある後輩の男の子の姿勢から「フラットに関わる」とは何なのか、ヒントをもらったため、今日はそれを書き記しておきたいと思います。例年、中学生のグループ1組につき大学生がサポートで1人ずつ入る形なのですが、今年は人数に余裕があるため、後輩の男の子と私が2人で同じ班の担当になったのです。その男の子は1つ下で、ビジネスコンテストの企画にガッツリ参加するのは今年が初めてです。
いざ中学生との会議の時間になったとき、彼の声かけのうまさにとてもびっくりしたのを覚えています。「今日は◯◯から取り組んだらいいと思うんだけど、どうかな?」「△△さんが今言ったことは、□□っていうことかな?それであってるかな?」ときちんと問いかけて、オンライン上でも認識がずれないように何度も確認します。また、話の軌道がずれてきたなと思ったときに、「そしたら、まずは●●から考えた方がいいかもしれないね」ときちんと自分の意見を伝えます。ちょっと難しくて説明が長くなってしまう話も、できるだけ噛み砕いてしっかり説明をします。「年上である私が意見を言ったら中学生の意思を潰してしまうのではないか」「難しすぎる話はしない方がいいかな」と考えていた私にとってはその様子がとても新鮮でした。
その後輩の様子を見ていて学んだことは、「気づきを促す」ということは、自分の意見をあえて控え、思考の余白を相手に残してあげることよりもむしろ、相手の力を卑下することもなく過信することもなく、自分が今思っていることを等身大に伝えることによって成し遂げられるということでした。
相手のことを信頼する
もちろん、どんな意見でもぶつける方がいいというわけではないですが、あえて思ったことを言わないというのは自分らしくもないし、それこそ相手を下に見てしまっていたということなのかもしれないと感じました。「自分の思っていることを伝えてもきっと相手は相手なりに噛み砕いてくれるはずだ」という信頼感をもちつつ、相手に自分の考えを伝えることは、相手とフラットな関係を築きたいと思っているからこその行動なのだ、と初めて気がつきました。
この後輩の男の子から、自分の中にあった壁のようなものにまた気付かされました。まだまだ私らしい、しっくりくる関わり方を模索している途中です。
早稲田大学法学部で家族法を専攻する大学生。「体験の言語化」という授業のTAや、防災教育ボランティアの活動を経て、自分の感情を言葉にすること・他者と対話をすることの重要性に気づき、DAIJOUBUの活動に参加。