自分のことがわかると、他者のことも見えてくる
こんにちは。大学3年生のさきちです。DAIJOUBUに大学生インターンとして仲間入りさせて頂いてから、4ヶ月以上が経ちました。その間に、9月から11月の頭まで約2ヶ月の間、DAIJOUBUで開催されている「セルフサイエンスエデュケーター認定資格コース」のクラスに参加していました。今日はそのクラスに参加して、私の日常生活にどんな変化が起きたのか、コラムに書き残しておきたいと思います。
私は大学で、防災教育系のボランティアサークルに所属していて、大学1年生の頃からずっと活動を続けてきました。説明がちょっと難しいのですが、都内と福島県のとある学校の中学2年生を対象に、防災に役立つアイディアを考えてもらうビジネスコンテストを開催し、中学生がグループでアイディアを考えるサポートをする、というボランティアです。このような、「正解・解答のある課題に取り組み知識・技能を得る」やり方ではなく、「正解のない課題を通して、主体的・協働的に問題解決へのアプローチ方法を身につける」学び方は、Project Based Learning(PBL)と呼ばれていて、知識をインプットしてから問題演習などを通してそれらをアウトプットするやり方とは違って、自分自身で課題を見つけ、その課題を解決するための知識を自分で探しに行く、というやり方を取るので、答えのない問題を解決する思考力が養われることが期待されています。私たち大学生ボランティアは、中学生の学びが最大化されるよう、中学生の輪の中に混じって、意見が逸れそうになったときに口を突っ込んでみたり、中学生がまだ考えきれていない部分があれば質問してみたり、そういうことをします。
実は私が高校生だったとき、地元の高校生の人材育成を行なっている団体と関わりがあり、私自身がPBLをやる、という経験をしたことがありました。そのときにも、私たちをサポートしてくれる大学生がついてくれていて、真剣に私たちの学びをサポートしてくれたのはもちろん、ときに女子高生のくだらない話に付き合ってくれたり、ときに進路への漠然とした不安を一緒に聞いてくれたり、自分の中でその大学生の存在が、「憧れ!自分が大学生になったらこうなりたい!」と思える存在になっていました。そんな背景があって、大学に入学したときにたまたま今所属しているボランティア団体の存在を知り、「中学生のPBLをサポートするボランティアができるなんて!」とキラキラした瞳で入会したのを覚えています。
しかし、現実はなかなか難しいものでした。7歳も下の中学生にどんな話を振ったらいいのかも最初は戸惑いました。中学生が話し合っている内容に対していろいろ思うことはあっても、威圧感を与えないようにアドバイスするにはどのタイミングでどんな言い方をしたらいいんだろうと、悩むこともありました。また、「かっこいい大学生にならなきゃ」と強く意識すればするほど、わからないことや難しいと思ったことがあってもそれを口に出して言ってはいけないと思って、常に緊張してしまう自分もいました。もともと完璧主義なところがあったので、一旦自分の中で作り上げられた理想像に縛られ、頭であれこれ考えて、悩んでしまったのだと思います。
大学2年次は新型コロナウイルスの流行によって、オンラインでの開催になったこともあり、限られた時間しか中学生と話すことができず、スピーディーに言いたいことを言おうとして質問攻めをしてしまい、だいぶ威圧感の強い大学生になってしまっていたと思います。
ちょっと前置きが長くなりましたが、そんなモヤモヤを抱えていたときに、DAIJOUBUのこの「セルフサイエンスエデュケーター認定資格コース」での学びが始まりました。「セルフサイエンス」のエデュケーターの資格ですが、場をファシリテートするためのtipsがたくさん散りばめられていたので、このボランティアの活動にもつながるような学びとたくさん出会うことになりました。その中でもずっと心に残っている言葉があります。感情知能EQのグローバルネットワーク・Six Secondsの学習哲学の1つ、「No Way is THE Way/方法がないのが方法」という言葉です。エデュケーターとしての絶対的な公式はなく、一人ひとりにしっくりときた「らしさ」にこそ価値がある、ということを表しています。この哲学を聞いたとき、なんだか心の中にじわじわとあたたかい気持ちが広がっていく心地がしました。今まで「こういう場面ではこうしなきゃ」「これは良くない」とかいろいろ思い込んでいた固定観念のようなものたちが溶けてなくなっていく感じがしました。自分の中にあった完璧な大学生像というのは、「こうすべき」とか「こうしなければならない」とかそういうふうに考えてしまっていた時点で、私らしい姿ではなかったのだと気づきました。
この学習哲学を知ったらすぐに性格を変えられるわけではもちろんないですが、「私って完璧な大学生になりたかったんだ」と気づけたことは大きな進歩でした。気づけたら、それを使い続けるか、手放すかは自分で選べるからです。
大学3年生のいま、活動を続けて3年目になりましたが、中学生との時間を柔軟に楽しめるようになってきました。自分の「完璧でいたい」「うまくやりたい」という不安とも向き合ってみたら、相手の不安な気持ちにも想像力を働かせることができるようになったのです。こちらが問いかけをして何も返って来なかったり、思うように話が発展していかなかったときに、「嫌われたのかな」「何がダメだったのかな」とついつい悪い方向に考えてしまいがちだったのですが、そんなことを考えてしまう自分を自分で受け止めてみたら、相手の気持ちも多層的なものだと想像することができたんです。「もしかしたら今の質問は難しかったかな」とか「大人に目の前で話の内容を聞かれるの、ちょっと恥ずかしいよな」とか。
「私らしさ」ってなんだろう、という問いの答えは一言では言い表せませんが、自分の心地よい方法を探り当てていく作業を続けていった先で、色んな「私らしさ」の総体が自然な形で立ち現れてくるのだと思っています。EQは1日にして成らずなのだなと感じます。
早稲田大学法学部で家族法を専攻する大学生。「体験の言語化」という授業のTAや、防災教育ボランティアの活動を経て、自分の感情を言葉にすること・他者と対話をすることの重要性に気づき、DAIJOUBUの活動に参加。