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生きてきたことによって得る確かな足跡

コロナ禍が続く今、それは、誰もが予想しなかった状況であり、先行き不透明な日常。
様々な感情が湧き起こりながら、事態を受け止め、それでも明日に向けて生きている私たちは、
ある意味チャレンジなことかもしれません。
ここで一旦立ち止まり、これまで歩んでできた道のり、これから始まる道のりについて
考えてみました。

《計画が壊されても、また新たに作り変えられる》

私自身のこれまでの人生を振り返ってみながら、どのような足跡が残されているのか、
自身と向き合ってみました。
なぜか、28歳で結婚するという願いは叶い、子どもは2人ぐらいを希望し、子どもが産まれてからも
仕事は続けていくと意気込んでいた矢先、私の計画はガタガタと音を立てて壊されてしまったのです。
あまりにも想定外すぎて、壊れた計画の破片を寄せ集める力もなく、今でも膝からガクンと落ちる感覚を
憶えています。
しかし、娘がダウン症で産まれる前から、新しい計画が用意され、私が娘を受け入れられるように少しずつ
整えられていたのでした。

この期間の私の足跡は、同じ場所にいくつもの足跡が重なり、暫く停滞していましたが、
時間がかかる中で、重なり合う足跡により、地盤が硬められ、確かな足跡とされたことを感じています。
この時、表面的には壊れた計画でも、新しい計画に作り変えられ、そこには作り変えられる意味が存在することを知りました。

《映画・えんとつ町のプペルから》

皆さんもご存知だと思いますが、「えんとつ町のプペル」とはキングコングの西野亮廣さんが描いた
絵本を原作とした作品です。絵本は、大ヒットとなり話題になりましたが、映画では絵本で描かれなかった
えんとつ町の“本当の物語”が描き出されていました。

私はこの映画をAmazon primeで視聴したのですが、映画を観るにあたり、西野さんが手掛けた
作品としてではなく、自分自身の歩んできた足跡と照らし合わせながら、ストーリーに入ってみました。
そうすることで、自分の心をのぞき込むための切り口やフックが、たくさん散りばめられていることを感じ、
ここで学びとして得たことを記載します。

①子どもは、親の言葉を心に抱いている
「他の誰も見ていなくてもいい。
黒い煙のその先に、お前が光を見たのなら、
行動しろ。思いしれ。
そして、常識に屈するな。
お前がその目で見たものが真実だ。
あの日、あの時、あの光を見た自分を信じろ。信じぬくんだ。
たとえ一人になっても。」

これは、『えんとつ町のプペル』に登場するルビッチのお父さんであるブルーノの言葉です。
この言葉は、他の人には届きませんでした。届くどころかバカにされ嘘つき呼ばわりされるのです。
しかしルビッチは、お父さんの言葉を信じ、星を見に行くことができました。

EQ・セルフサイエンスの学びを継続する中で言葉の選び取りの重要性を痛感しています。
それは、親子の間で、親が放った言葉一つひとつが、子どもの人生においてかなりのウエイトを占めてしまうからです。ですから、子どもに意図を持って言葉を伝えるためにも、大人が自分自身の内側を知ることが大切だと改めて思いました。

大人が意図をもって行動に移す足跡も、やがては、子どもにとっての確かな足跡になっていくでしょう…。

②出る杭は打たれがちだが、諦めずにやり続けた時、必ず応援する人があらわれる
この世の中(日本)では、足並みを揃えることに美があり、足並みから外れて夢に向かって行動を起こすと、
『勝手なことをして…』と行動を阻もうとします。
その阻止は、人の夢を諦めさせ、行動させないような威力を放つのです。
阻止する人も、かつては夢を抱いていたはずなのに…。
どこかかで諦め感情に蓋をしてしまい、思考を働かせることが出来ず、本当にしたかった選択を
得られないまま、負のループを生み出してしまったのかもしれません。

しかし、人には《感情》があります。
感情を活かして思考と繋げたとき、本当にしたかったことが明確になり、行動に移せるのです。
そして感情が伝播し、人を動かすことができるのです。
映画を通して、軸をブラさずにやり続けるプロセスの中で、必ず応援してくれる人、
伴走してくれる人があらわれていくことを感じました。

人には必ずその人にしかできない才能(ギフト)が与えられていますが、個には限界があります。
それぞれの個の良さが活かされ、スクラムを組んだ時、パワフルな力が生み出されていくはずです。
私自身の足跡を振り返ってみると、自分だけの足跡だけでなく、私をおんぶして代わりに足跡となって
くれた友人、私の足跡に伴走してくれた足跡があったことに気付かされました。

③映画に出てくる異端審問会のような同調圧力を持つ大衆のパワーは、挫折の要因になる
特に日本において、異端審問会のような存在は根強くあり、それが「同調圧力」と言われる時もあれば「協調性」と言われる時もあり、なかなか難しいです。
一つ言えることは、たとえ理にかなった発言であっても、圧力により、みんなが反対する状況が起これば、
主語が《みんな》になり、その瞬間《個》としての存在が途端に弱くなってしまうということです。

【みんな違ってみんないい】という言葉が多様性として用いられますが、この言葉を使いながらも
最終着地点は、足並みをそろえるが日本の現状だと感じています。
大切なことは、言葉を用いる大人が表面的な取り扱いではなく、言葉に責任を持つということです。
こうした大人の後ろ姿を子ども達に示していくことも未来に残す足跡として、大切であると感じました。

《すべての出来事は、ストーリーである》

自分が心地よくないと感じている時ほど、一つひとつの出来事が断片的であると思いがちでした。
しかし、すべての出来事は、未来に繋がっており、出来事から展開されるストーリーに無意味なものはないということです。

もし、意味が分からない状況であれば、まだその意味が分からないだけであり、必ずどこかの時点で
明確になる時があると思います。
だからこそ、ゆっくりでもいい、自分のペースで、自分の心と思考と身体の音を感じながら、一歩また一歩と
未来に希望をもって生きていきたいものです。また新たな足跡のために…。



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