子どもの「~したい」を見守る
9年後だからまだまだ先の話だと思うけれど、息子が15歳になった時に、一体どんな選択をするのだろうかと、ふと思う事がある。
私は息子がどのような選択をしたとしても後押しをしたいと思っている。
別に高校に行く事だけが全てじゃない。16歳じゃなきゃ高校入学できないわけじゃない。世間体がどうのと言う人もいる。でも世間が一体何をしてくれるの?私自身はそう思いながらずっと生きてきた。だって自分の人生でしょ?
例えば、息子が日本全国の旅に出たい、という意思表示をしたなら、私は全力で応援したい。
例えば、息子が働きたい、という意思表示をしたならば、それも全力で応援したい。
勿論、高校で学びたいという意思表示をしたならば同様だ。
たかが15歳、そんな人生の決断は出来るわけはない、と思う人もいるかもしれない。だが、そんなことは決してないと思っている。私も私立高校を自主退学して、演劇の道を志したのは、16歳の時だった。もちろん順風満帆だったわけじゃない、紆余曲折、沢山葛藤もした。多分これからも葛藤するだろう。
自分で意思決定する大切さ
大切なのは、全て自分の意思で「選択」出来たということだ。自らの意思で決めてきたことは、決して人のせいには出来ないわけで、常に自己責任という中において、ある種の自由を獲得してきたわけだが、そこで育まれたことの一つは、「当事者意識」ということもかもしれない。集団の中で起こる事、社会で起こる事、どれをとっても、他人事ではいられないマインドが自然と育まれたような気がする。
自分自身で意思決定するためには、自己理解する時間と場が必要!
無論両親がそういう風来坊のような生き方を許容してきてくれたお蔭で、今の私があるのは間違いない。そこは感謝の念が堪えない。我が子が、自分のやりたいこと見出した時は、強く後押ししていきたいと考えている。
幸い自己と向き合う時間をたっぷり与えられている環境で、成長していけるわけなので、自分の中で芽生えた「~したい」という思いを、何よりも何よりも大切にして欲しいと願っている。そしてインプットばかりに時間を割くのではなく、自己理解する時間と場を、親はもっとたっぷりと与えてあげるべきなのだ。
9年後、果たして息子はどんな選択をするのだろうか。そして、私はどんなことを考え、思うのだろうか。
生きる力をつくる・はぐくむをコンセプトとした
Art-Lovingというアートカンパニーで、演劇創作と演劇共育を中心とした教育事業に勤しむ。
舞台演出家・演劇共育実践家・ラジオパーソナリティ(FM軽井沢)として活動中。