頑張りすぎな人にこそEQを

年度末(3月)に、コラム「最近の”なんだかすっきりしない感じ”を考えてみる」で、数年前に突然親のサポートが始まり、子育て・受験と介護と仕事のピークが一気にきて、自分の役割が渋滞してうまくいかなさを感じていることについて書きましたが、今回はその続き、年度が変わって、この3カ月で自分がどう変化したのか、そこからの気づきについて書いてみたいと思います。
前回(昨年度末)から変化したこと
①急にできた余白に戸惑う
4月になって、新しい年度がはじまり、まず、仕事については、1人で受け持っていたものを分担できるようになり、仕事量やタスクが一気に半分に減りました。子育てについては、中学受験が終わり、入学後順調に中学生活をスタートできました。部活が始まると帰宅時間が遅くなり、子が不在の時間が増えました。
これらの変化が自分の中でかなり影響が大きく、「私がやらなければならない」が「私がやらなくてもいい」に急に変わったことに戸惑い、常にON状態だった自分の心と体にできた、余白・隙間に戸惑いました。
同じ時期に親の一周忌法要があり、無事に終えた瞬間、節目が終わった!やれやれ・・と力が抜けて、心に穴が開いた感じで、やる気が全くでない、なにもやりたくない。それに連動して、体が思うように動かなくなったり、いろんな症状がでて、心身ともに不安定な日々が続きました。責任の重さやタスクの量が減ることで、身軽になって楽になる!と楽観的に思っていたのに、想像に反して、全く真逆の反応が出てしまい、自分の変化に戸惑いました。急激に変化することの反動って実は怖いのだなと実感しました。
②大丈夫じゃなくても大丈夫。あえて動かないことを意識してみる
以前の私であれば、空いた時間に、違う仕事を入れる、もっと親の世話をするなど、なんとか埋めて自分が動こうとしていたと思います。動けないことの居心地の悪さや、仕事をしていない時間の罪悪感、こんな私って全然ダメ、私って弱い・・・そんな思考に襲われないように、それらを埋めるべく動く。
ふと、【なんのためにDAIJOUBUでこれまでEQ筋トレを続けてきたの?】と思い返し、おまじないのように「だいじょうぶじゃなくてもだいじょうぶ」という言葉を自分の中で繰り返して唱えてみました。
「だいじょうぶじゃなくてもだいじょうぶ」とは、大丈夫じゃない状態、つまり、この時の私の状態であってもいい!という意味。大丈夫じゃない状態って、自分も苦しいし、一般的にあまりよい風にはとらえられないので「こんな自分はダメ」「自分って弱い」「役立たず」「申し訳ない」などの思考や感情についつい囚われがち。そうではなくて、大丈夫じゃない状態の自分の体や心から発せられるメッセージに注意深くなり、その状態の自分もまるごと受け入れる、そして大切にする。
「だいじょうぶじゃなくてもだいじょうぶ」と言い聞かせながら、親のことはヘルパーさんと相談し、私自身が無理なく動けるようなサイクルに変えてもらい、親の元に通っていた回数や時間を減らし、仕事は、非勤務日はパソコンや連絡をシャットダウンし、繋がりを断つ。そして、体を休め、いろいろ考えることもやめて、文字通り「ぼーっとする」を実行しました。最低限の生活や仕事はするけれど、それ以外は、睡眠時間をふやしたり、なにもしない時間をあえてとり、映画やドラマをみたり、体調がマシな時は犬とゆっくりびわ湖沿いを散歩したり。モヤモヤしそうになったら「今は回復する時、充電する時!」と言い聞かせて落ち着く。
③「待つ」力で、焦る気持ちを小さくし、タイミングがきた
日が重なっていくと、この不調ややる気なさはいつまで続くのだろう、取り残される、遅れてしまう・・・と、焦りの気持ちがわいてきます。とにかく自分の意思に関係なくずっと動いてきたので、休むことや何もしないことが居心地悪い。
以前、DAIJOUBUのクラスで、ネガティブ・ケイパビリティ(どうにも対処しようのない事態に耐える能力)について取り上げたことがありましたが、その時の対話の中で、ネガティブ・ケイパビリティとは「待つ力」だと表現された方がいました。あらゆる場面でスピードが要求されたり、即効性があること、すぐに答えがでることが求めがちな今の世の流れの中で、その流れに流されないように踏ん張り、その時が来るのを「待つ」ことって、今の時代は余計に難しく感じます。でも、クラスで対話したり一緒に学んだことが支えとなり、とにかく待ってみよう!と、体を整えることをあれこれ試して、焦る気持ちを小さくすることに努めました。
そのうちに、少しずつ体が軽くなっていくのを感じて、◯◯したいな、の気持ちが少しずつ湧き上がってきました。
「あ、回復してきたかも」「私のタイミングがきたかも」
と実感できると、「これまで頑張ってきたんだから、余白をちゃんと大事にしよう」という思いが湧いてきました。余白を余白として実感できると、気持ちの波もゆるやかになり、日々の判断や選択を落ちついてすることができる。また、この一連の自分の変化の過程の1つ1つに意識を向けることで、自分の現在地を確認することができました。
そういう状態になると、この先自分はどうしたいのかを考えられる余裕もでき、少しずつたまったタスクや、やりたくでもできなかったことに手をつけられるようになり、最近、やっと散らかっていた諸々の整理にメドがつき、今はとてもすがすがしい気持ちを感じることができています。止まっていた期間・時間はやはり全然ムダではなかった。
④人それぞれに”タイミング”がある
こうして自分の過程を振り返りながら、そういえば、母もこの過程をたどっているなと気づいた出来事がありました。
最愛の夫(父)を亡くし、長く悲しみの中にいて、なにもせず一日中座ってるだけの日々。体も具合悪くなり、毎日のように病院に通い、多くの薬を飲んでいました。日常生活も人のサポートがないと難しいのになかなか受け入れられず。それが最近になり、やっと日々の服薬生活から卒業でき、気が付いたら、ヘルパーさん達とも仲良くなって、先日、あれだけ嫌がっていたデイサービスの施設に自ら出向いて、少しの間過ごしてきたと報告を聞いてびっくりしました。と同時に、あーよかった・・と、何かホッとしてあたたかい気持ちになりました。職員の方が根気強く関係性を築いてくださったおかげで、支えてくださる方々には感謝の気持ちでいっぱいです。かつては、余裕がなかったこともあり、なんでサポートを嫌がるのだろう!こちらも都合があるのに!と困ってしまっていたこともありましたが、母には母のペースやタイミングがあり、ちゃんとその時は来る。無意識ではあるけれども、母もこのタイミングまで、周りに支えながら耐えて待っていた時間だったのだなとあらためて気がつかされ、辛いなと思っていた母のサポートに向かう私自身の気持ちがほんの少しやわらかく変化したように思います。(もちろん日により波はあり、新たな課題もありますが、それでも1歩すすめた感があります)
人にはそれぞれ、その人のタイミングがある。
それはごく当たり前のことなのだけれども、日常の生活や関係の中で、なかなかそれを尊重できなかったり、理解できなかったり。無自覚にこちら側のぺースに引き込もうとしていたことについて、反省しました。
頑張りすぎな人こそEQを
世間一般では、EQといえば、ビジネスがうまくいく、チームワークがうまくいく、アクティブに前向きに動く、自己実現、他者とうまくコミュニケーションをとっていく、などのためにと取り上げられることがまだまだ多いですが、その逆、ブレーキをかける・自分を休める・暴走しないようにする・手放す、など、一見、後ろ向きにみえるようなことも受け入れられるようになる、そして、進むことも止まることも両方含めて、「自分で自分の手綱を握る」ことに活用するが何よりもまず大事だなと思っています。
DAIJOUBUがはじまって5年の間、メンバー皆、とっても頑張る、頑張れる人たちの集まりですが、それぞれライフステージの変化や想定外のことがたくさん起こりました。DAIJOUBUの運営も、本業の傍ら、その都度相談しながら、カバーしたり、方向性を見直したり、軌道修正をしながら、それぞれの「だいじょうぶじゃなくてもだいじょうぶ」を大切にしてきたから、ここまで続いてきているのだと思っています。周りの「だいじょうぶじゃなくてもだいじょうぶ」を大事にできる・見守れる空気感もとっても大切だと思います。かつて、”24時間戦えますか”と、がむしゃらに頑張りまくる!気合で乗り切る!というのがもてはやされた時代があり、その名残であったり、人に迷惑をかけてはいけない、自己責任などと教えられてきたこともあり、立ち止まることや手放すことがとても怖かったり不安になったりしがちですが、ぜひ、そんな方こそ、自分のEQを活用していただけたらなと思います。
DAIJOUBUが提供する定期クラスでは、そもそもEQって?感情を活用するってどういうこと?も、対話やワークで体験・体感することができます。また、来月7月26日には、年に数回の特別クラスも開催します。今回の特別クラスは、米国ヌエバスクールSELスペシャリストであるKeiko Sato先生をお迎えし、『世界のEQ・SELの現場から~感情を”聴く”5つのポイント』というテーマでお送りします。ぜひ、日々の仕事や子育て、介護など、頑張りすぎな方!そして、もちろんどなたでも!EQに触れに、一息つきに、気軽にお越しください。

長年、企業人事や就活支援に従事。
社会人と小学生14歳差兄弟の母。
すべての若い人達や子ども達が生きやすい社会になるように
EQを中心にこれまでの知識経験を活かし活動中。