1. HOME
  2. ブログ
  3. 楽しむことを忘れない

楽しむことを忘れない

夏休みも中盤になってきました。親にとっては長い、子どもにとっては短い夏休み、でしょうか。

今年はオリンピックも結局開催され、そこには様々な想いがありますが、この日のために頑張ってきたアスリートの姿や一流の競技を見るのはやはりワクワクするし、まぶしく感じます。

スケボーに教えてもらったこと

先日行われたスケートボード(ストリート)の試合を見ていて、スケボーってほかの種目にはない、独特の雰囲気があるなぁと改めて感じました。自分の好きな音楽を聴きながら競技したり、ほかの選手の技が決まったのを見て笑顔になったり、解説も肩の力を抜いた雰囲気が話題になりました。ほんと、「ストリート」感が出ていたと思います。

スケボーには、長男が一時期かなりはまっていたのですが、初めてパーク(スケボー場)に行こうとなった時は心配しました。今となっては偏見の塊でもうごめんなさいとしか言いようがないですが、スケボー場=不良のたまり場、というのが当時の私のイメージで・・・💦。でも行ってみると、年齢関係なくみんなが互いに教え合い(時には上手な子どもが、始めたばかりの大人に教えることも)、技が決まった時は知らない人でもスケボーをバンバン鳴らして称えあったり、共に楽しむ、なんとも良い場所だったのでした(パークによっていろいろ雰囲気は異なるようですが)。実際、長男がうまくいかなくてイライラしていたりすると、「楽しまなきゃ」と言われたり、「スケボーは楽しむもの」という言葉を聞くことは何度となくありました。技ができるようになるために繰り返し練習する傍ら、楽しむ姿勢がとても大切にされているように感じられ、当時の私にはそれがとても新鮮に映りました。

勝つため、結果を出すため、だけではなくて楽しむこと

運動会でも部活でも体育でも、スポーツと言えば「勝つこと」「うまいこと」が重視されるシーンが多いものです。運動の得意でない私は、そんなわけで運動にはとても苦手意識がありました。そもそも運動に限らず、何をやるにしても「結果を出すこと」「より上にいくこと」が良しとされることが多いのではないでしょうか。これは、必然的に比較、競争を生み、人と比べて得意でないものには距離を置いてしまう、できない自分を恥ずかしく感じてしまう、ということにつながりやすいと思います。

一方、「楽しむ」という言葉には人との比較・競争の要素がありません。
ただ、内側から楽しむ。

「楽しむ」という言葉には、ラクをしたり、本気を出さないような軽いイメージが付きまといがちですが、そもそも楽しむ、ってただだらだらやっていても楽しめないはずです。 楽しむためには自分は本当は何が好きで、どうしたい、ということがわかっていること、またちょっとうまくいかないことがあっても前向きに気持ちを切り替えていけることなども必要で、実はとてもEQが必要だと思います。

先日恵子さんのワークショップで、シナプススクールのイベントの話がありました。学校外の人を招いて生徒たちが自分の作品を招待客に発表、説明する場だそうですが、それに向けた準備に苦労する生徒に、時には「今年完成しなくてもいいんだよ、何年もかけてやればいい」なんて言葉をかけることがあるそうです。シナプスでは完成された作品という「結果」だけでなく、努力しているその過程が大切にされていることがわかります。発表のためにとりあえず納得いかなくても仕上げるよりも、苦しさもあるかもしれませんが、完成形を模索していく過程を楽しむ、ということが学べるのではないでしょうか。

日本においても「楽しむこと」がもっともっと強調されていってもいいのではないかと感じます。


スケボーの解説者、瀬尻さんは、オリンピック候補にもなりえる実力の持ち主だそうですが、「純粋にスケボーを楽しみたい」という理由で今回参加しなかったそうです。

私自身もついつい、目標志向で取り組もうとするところがあるのですが、過程を楽しむこと、そのために(人に合わせたり、人を意識せず)自分が本当は何をしたいと思っているのか、にもっともっと目を向けていけたら、そして子どもたちもそんな風に見守っていけたら、と思っています。

関連記事

NEW articles

最新情報はこちらから