共に学ぶ、共に育つ~Tea Timeの時間から
”教え育てる時代から、共に育つ時代へ”
2022年6月24日(金)の夜21時からは、Tea Time「共に学ぶ、共に育つ」をテーマに、参加者の皆さんたちと好きな飲み物を片手に語り合いました。先ずは、いくつかの言葉をシェアしました。
フランスの詩人ルイ・アラゴンは、こう語っています。「教育とは、教えるものと、教わるものが、お互いを練磨する事」であると定義しています。
また今回のテーマとなる「共に育つ」を自治体の基本構想に定めている行政がありました。神奈川県 逗子市の総合計画 基本構想を見たところ、「めざすべきまちの姿 世代間交流を通じて、共に学び合い、共に育つ「共育」理念のもと、市民の誰もが、人生のどの場面でも、いきいきと学び、文化を育み、スポーツに親しみ、その成果を様々な形で生かすことのできる、市民が主役を演じる「共育の まち逗子」 をめざします」
共に学ぶ、共に育つ「共育」の理念が市の方針として打ち出されているところは、中々画期的ですよね。個の主体性ばかりが声高に叫ばれがちな現代社会にとっては、とても大切な言葉のように聞こえました。
学校の先生が板書したものを書き写して、インプットして、試験勉強する。従来の教育は、一方的に知識を授けて、教え育てるが基本でした。しかし今の子どもたちは、情報技術が著しく発展したこともあり、一教師の持っている知識より、インターネット等から情報収集し、分析し、博識な子どもたちが増えています。寧ろ大人が子どもたちから教わることすらあります。そう考えると、教え育てる一方通行な関係より、インタラクティブ(対話的)なやり取りを通して、共に学ぶ、共に育つ姿勢が以前より求められているのかなあと、皆さんからのやり取りを聞いていて感じました。子どもたちもこういった環境での学びを通して、自分で問いを立て、答えの無い問いについて考える、まさに思考力を養っていけるのかもしれません。
”究極的な理想を掲げすぎると、ユーモアが枯渇する”
共に学ぶ、共に育つ、こういった高い理想を掲げながら、新しいことにチャレンジしようとしたり、「~ねばならない」「~あるべき」という観念が逆に働きやすくなります。故に学校教員や大人たちが疲弊していくことは容易に想像出来ます。もっと自由に、大胆に!と思ってはいるけれど、そう出来ないもどかしさ。葛藤ばかりが続くと人は誰でも疲れるものです。
そんな状況では、段々とユーモアが枯渇していきます。笑いが減っていくのです。腹の底から思い切り笑える、笑い合う環境づくり、先ず大切なのはこういったことじゃないかなあ、と感じます。心理的安全性とか、場の促進とか、様々な理想ワードが飛び交いますが、日常的なセンスオブユーモアがその場にあるかどうか、ここがカギのような気がしてなりません。
人間、欲を言えばキリがありませんが、理想的なものを追求していく中で、そこに基本的な楽しさや解放できる場がないと、人は疲弊し、終いには病んでいきます。現在の職場だったり、家庭の中では難しいと感じる方がいるかもしれません。そんな方々には、是非DAIJOUBUでEQの学びに参加していただけたら、と思っています。
EQは、感情をコントロールすること、と時に誤解されますが、感情をコントロールする必要はありません。肯定的な感情、否定的な感情、どれをとっても自分が発している大切なメッセージなのです。プラスもマイナスの感情も全て受け止めて、そこからよりポジティブに行動していくためには、どうしたら良いのか?そんなことをじっくり、ゆったりと思考する時間が、DAIJOUBUが毎月継続的に開いているEQの場です。ぜひ皆さん、参加してみませんか?
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生きる力をつくる・はぐくむをコンセプトとした
Art-Lovingというアートカンパニーで、演劇創作と演劇共育を中心とした教育事業に勤しむ。
舞台演出家・演劇共育実践家・ラジオパーソナリティ(FM軽井沢)として活動中。