イメージだけで捉えてしまう恐ろしさ
十把一絡、一緒くたに考えてしまう落とし穴・・・
今回は、ここ最近感じている疑問について、思考してみたいと思う。議員活動を通しても特に感じているのが、人はどうしても物事や他人をイメージで捉えてしまうことが多いということだ。自分が見聞きしたことではないのに、人から聞いた話や、噂話がマジョリティ―を占めていると思ってしまうことはないだろうか。「みんなが言ってる」「ネットに書かれていた」という言葉を聞くことがよくあるが、果たしてどれだけの人が、明確なエビデンスを基に発信しているのかは定かではない。単にその人本人がもっている価値観やイメージを話しているに過ぎないのに、それを十把一絡げにして考えてしまうことはないだろうか。
情報過多の時代、一つの情報だけに操られてはいないか、と思うことがしばしばある。漠然としたイメージや一つや二つの事例の印象操作だけで、イメージを植え付けられてしまっていることはないだろうか。そういった時、果たしてどれだけ自分主体の思考が働いていると言えるのか、そこで自分が何を感じ、なぜそう考えて、そしてどのように行動したらよいか、残念だが思考的になっているとは到底思えないのだ。
「否定、批判、非難することは簡単!」
物事や人をイメージだけで捉えがちになると、そこにもう思考する力は働かなくなる。自分が常に正義と考え始め、自身の言動、行動は全て正論と錯覚に陥ってしまう危険性はないだろうか。私が最近意識しているのは、一つ一つの事柄に対して、まずもって漠然としたイメージで判断するのではなく、丁寧に誠実に向き合うということだ。常に対話を軸にした思考状態にしていくことが何より肝要だと感じている。
人間というのは、基本的に物事をジャッジしたくなる生き物なのだと思う。自分と異なる考えのもとでは、否定、批判、非難することで、自身の考えを正当化したくなるのだろう。しかしそのような環境下で、果たして建設的な思考や開かれた対話が実現するだろうか。ジャッジする習慣がまん延すると、感覚が麻痺して、人は閉鎖的なSNSに発信の場を求めることになる。実名ではないオンライン上は、否定、批判、非難の応酬合戦である。
思考が働かなくなり、情報に左右されがちになると、人は猜疑心を持ち初め、人間関係に支障をきたし始める。既に周知の事実として明らかになっているのは、新卒者が就職して3年以内に離職するケースが増えている。その最大の理由は、残業時間でも給与の低さではない、人間関係で辞めていくというのだ。そういった背景もあるのか、最近の新卒採用で重要視されるポイントに「コミュニケーション力」が求められるのも頷ける。
次回のTea Timeのテーマは、「イメージ、固定観念、先入観」
4月26日(金)Tea Time、私がファシリテータ―を務めるテーマは、まさに今回のコラムの内容について取り上げたいと思っている。皆さんの日常や経験の中で、イメージ、固定観念、先入観で物事を捉えたことはないだろうか?そして結果、そこでの人間関係に支障をきたしてしまったことはないだろうか?当日は、そういった捉え方を問題にしたいのではなく、なぜ人はそう捉えてしまうのか、というところを皆さんと1時間共有したいと思っている。皆さん、是非ご参加のほど!
生きる力をつくる・はぐくむをコンセプトとした
Art-Lovingというアートカンパニーで、演劇創作と演劇共育を中心とした教育事業に勤しむ。
舞台演出家・演劇共育実践家・ラジオパーソナリティ(FM軽井沢)として活動中。