実験「自分だけマスクをしないとどうなる私?!」
こんにちは!2022年も終わりですね。肌寒くなったな~くらいのハノイから、極寒の日本へ帰ってきております。甘く見ておりました。こんなに寒いんでしたっけ、日本の冬。慌てて上着やインナーを買いに出かけました。
さてさて、今回の日本帰国、滞在1週間ほどなのですが、その間ちょっとした実験をしてみました。
題して「自分だけマスクをしないとどうなる私?!実験」です。
ハノイでもかなりマスクを外す人が増えてきて、私自身もほとんどしない生活になりました。(冬のハノイはとても空気が悪いので、空気の状況によってはマスクを付けます。)そんな中、日本に帰ってきたらとにかくみんながちゃんとマスクを付けているではありませんか。もちろんこの季節ですから、コロナがなくともマスク着用率は高いとは思うのですが、場所を問わずかなりの割合の人が着用していること、テレビの出演者(屋外での撮影)でさえマスクを着用しているのを見て驚きました。
そんな環境の中、マスクをしないことで観察してみたかったのは3つ。
1、私は周りからどんな目で見られるのか。
2、その状況で私はどんな心境になるのか。
3、私の横にいる母はどう感じるのか。
私は周りからどんな目で見られるのか
人々が本当にきちんとマスクをしている日本。(ここに日本の「すごみ」すら感じました。)その中でマスクをつけないでいたら、私はどんな風に見られるのか…。正直怖かったです。怒られたり、罵声を浴びせられたり、何か投げつけられたり、通報されたりするのかな、なんて思っていました。(ちょっと大袈裟。)
実際、マスクをしない私に対する眼差しは「あれ?」という感じではあったものの、思ったより冷たい視線は感じませんでした。「日本人じゃないと思われているかな」、「むしろ好印象?」と、様々な思いが巡りました。
そして実験開始数日後に意外なことが起こったんです。ひとりの方から思いもよらない言葉をもらいました。
デパートで必要なものを揃えた私は支払いをしようとレジに行きました。そこで現金をジャラジャラさせながらモタモタしていた私が「ごめんなさいねー、時間かかっちゃって。アハハハ」なんて言いながらやっていたら、レジの年配の女性が「笑顔が見れるってやっぱりいいわね!」とおっしゃったんです。
まさかの、褒め!
怒られる覚悟はしていましたが、褒められる準備はしていなかったのでびっくり仰天でした。その後、
(私)「マスクもうしたくないんですよねー。」
(レジの女性)「そうよねーおかしいわよね顔が半分なんて。ハハハハ!」
と少し会話をしてから、その女性に満面の笑みを返してその場を去りました。
自分はどんな心境になるのか
正直、心地が悪かったです。感情語を用いるなら「苦しい」「辛い」。できたらその場から早く去りたかったし、マスクをしてしまったら楽なのに、と思いました。
あれ?おかしいですよね。
〈マスクをしない私に対する眼差しは「あれ?」という感じではあったものの、思ったより冷たい視線は感じなかった〉はずなのに、なぜこんなにも心地悪さを感じるのでしょう。
ここで自分の中に思い込みがあったことに気づかされました。
「みんながマスクをする中で自分だけがマスクをしないと冷たい視線を周りから向けられる」という設定を自分の中に刷り込み、それをもとにこの実験に臨んでいたから周りの目が気になりこんなにも心地の悪さを感じていたわけです。
自分で勝手に思い込んで、勝手に苦しむ。これって時々起こる現象ですよね。例えば、友人に何気なく言った言葉が相手を傷つけてしまったかもしれない…と思い、一晩中気にする私。でも当の本人は全く気にしていなかった、というような経験はよくあることで、それに近いものがこの状況下にあるように感じました。
私たちはよく「これをしたら迷惑」「こんなことしたら嫌がられる」と思い込んでいることが少なからずあるように思います。そんな思い込みに対して「自分がそれをされたら本当に迷惑なの?」「それは自分の思い込みかもしれなくない?」と切り込み、ちょっと違う行動をとってみたら新しい世界が広がるように感じました。
また、周りの人がほぼ全員やっていることで世間的にそれが正しいとされていることを自分だけやらない、これは何とも言えない心地の悪さでした。みんなと同じ行動をとることへの安心感、周りと足並みを揃えておくことへの気楽さもこの実験において改めて実感しました。
私の横にいる母はどう感じるのか
母は常にマスクを着用していて、そんな彼女はマスクをしない私が横にいてどう感じるのか、ここも興味深かったので聞いてみました。
すると、「大して何も思わなかったけど、みんなが不快になることはしない方がいいのになと思った。」と母は答えました。
「みんなが不快になることはしない方がいい…。」
みんなが不快に感じるのはおそらく私が「マナー違反をしているから」なのだと思います。それは本来のマスクをつける意味から離れたものになっていますよね。こうしてマスクをつける本当の意味から離れつつも、いろいろな意味での「付けておく安心」を人々が感じることで「一億総マスク」が実現しているのだなと感じました。
ーそもそも私はなぜマスクを外したかったのかー
私自身、今年DAIJOUBUでEQを学ぶ中で、「思考停止」の状態によく気づくようになり、それを忌み嫌うようになりました。深く考えず「ルールだから」、「みんながやっているから」、「そういうものだから」、「マナーだから」そんな理由で行動することの危険性を感じてきたし、そんな風に行動している人たちを見てモヤモヤしてきました。だからこそ、自分の頭で考えて、意味と理由をちゃんと自分の中で捉えた上でマスクの着用と非着用を決めたいと思ったんです。(もちろんマナーは大事なんですけどね。)
このささやかな実験の中で、やはりマナーや協調とのバランスはとりつつも、やはり自分の行動への納得感を大事にしたいと改めて感じました。自分がどうありたいか、自分がその行動をなぜするのか、何のためにするのか、それらを捉えていることが大切だと思うし、その上で批判を受けたとしてもその時の自分はそれを受け止められる強さを持っているのだと思います。
また、「どうせ白い目を向けられる」「どうせ批判される」とうがった見方で世界を見ず、自分が思うよりも人々は誰かの真っ直ぐな行為を受け止める寛容さを持っているかもしれないという思いを持って行動してみたいなと思いました。
終わりに
日本帰国でまさか自分がこんな行動に出るとは思っていませんでした(笑)そしてこんな風に自分の感情を客観的に見てちょっと面白がれるようになったことは今年の自分の成長だなと感じます♪
2023年もDAUJOUBUのクラスを通して多くの方々と答えのない問いについて語り合い、その中で自分の在り方を見つめ、形作っていきたいなと思います。
来年もDAIJOUBUをどうぞよろしくお願いいたします!
皆様、今年も本当にありがとうございました。良いお年をお迎えください!
香港、サンフランシスコ、シアトル、ハノイと引越しを重ねながら3人娘の子育てに奮闘中。
子育てのつまづきをきっかけにコーチングに出会い、さらに、子供たちと向き合う中でEQの大切さを確信。
現在、コーチングでより良い親子関係を!EQで子供たちの生きる力を!を目指して
Mother’s Journeyを運営し子育てについて深め合う場を作りながら、
自らも日々学びながら子育てを楽しんでいる。