ドタバタ、ゴタゴタ、ガタガタな毎日
キラキラワードに食傷気味な日々
定期的に自身の実践探究についてや、考えていることを発信するのは、SNSが定着してから誰でも気軽に出来るようになった。そんな私もラジオの仕事も含めて、日常的な行為だが、最近少し気になっていることを敢えて今日は自由に書いてみる。どの領域でもそうだが、より良い考えや、実践、取り組みを共有することは、きっと多くの人に希望や勇気を与える時もあるだろう。
だが、そんな理想的なキャッチフレーズや文章に疲弊してしまう時がある。それは私だけだろうか。何だかキラキラした理想ワードが並び続けると、ああ凄いなあ、理想的だなあと感じる反面、とても疲れてしまう。正直、文字を読む気すら起こらなくなる。想いや考えを共有、発信する上では、大切なブランド戦略かもしれないけれど、私にはしんどく感じることがしばしばある。
単に理想論が鼻につくとかそういったことではなく、緩やかに思考出来る隙間が感じられないのだ。人間味に欠けると言った方が正しい表現かもしれない。文章としては完璧だと思うし、悪い事は何一つないのだけれど、果たしてそんなに人間は清廉潔白で、聖人君子だろうか、とやや性格がひん曲がった私にはそう感じてしまう。そんな私自身、演出家として、演劇共育ファシリテーターとして子どもたちと接する機会が多くある。それ以上に二児の父でもある。
演劇や演劇共育の実践も日々トライアンドエラーの繰り返しだけれど、我が子の子育てともなれば、もっとハチャメチャだ。正直、自己嫌悪になることなんて、毎日のこと。朝から怒鳴り声はあげるし、イライラすることなんて、日常茶飯事。その度に「ああ、何て反省のない人間だろう」と自己嫌悪になったり、同時に「そんな理想的な実践なんか毎日出来るか!」と開き直って自己正当化してしまう自分がいる。
大人や親も未成熟で不完全な人、だから「ごめんね!」と謝る大切さ
毎日なるべく気持ちよく、子どもたちと過ごしたいと思っているのは、世の親なら誰でもそう願っていることだろう。しかしそう出来ない日だってあるのだ。そんな時は、自分が一番苦しくなるし、子どもたちとの関係も気まずくなり、後味だって悪くなる。特に感情的に大声で怒鳴りつけた日は尚更だ。
「さっきは強く言い過ぎた、ごめんね。でもパパもね、完璧じゃないし、間違えることだってあるんだ」
この言葉は、一年で何回繰り返しているだろうか。その度に、子どもたちは、パパは反省がないなあ、言い訳がましいなあと思っているかもしれない。でもそれが人間なんだとも思うのだ。同じ過ちを繰り返すし、自己正当化だってする。だからこそ、その間違いに気づき、軌道修正する必要がある。多分自分にとって、EQの学びはそんな時間なんだろうなと思っている。
“な~んだ、EQを学んでいる人も所詮そんなもんなんだ~”
ここ数年だろうか。子育て教育本に「感情的に怒るのは、子どもにとって一番悪影響。論理的に叱ってあげてください」「だめ!とは言わずに、その問題に気づくようなワードで諭してあげてください」みたいなワードがあちらこちらで叫ばれるようになった。確かに子どもたちにとっては、そういった声掛けで諭してあげた方がいいのだろうと思うし、頭では理解できる。でも、感情的に怒ることだってあるし、だめ!と言うことだってある。先述の理想キラキラワードが散りばめられた文章は、そういった行動をとる私のような人間からすると、あなたの行為はダメダメ!とNOを突きつけられたような気持ちになり、自信を失くしかけてしまう。まるで非人間的な人たちを断罪するかのように感じられる文章は、共感性も低いし、あまり読みたくないのが正直なところだ。もっと寛容なマインドで語り掛けることは出来ないだろうか。
以前、日々のドタバタ、ゴタゴタ、ガタガタについて話していたら、「な~んだ、EQを学んでいる人も所詮そんなもんなんだ~」と話されたことがある。その時、とっさに「そんなもんですよ!だから学び続けるんでしょうね」と話したことを記憶している。EQを学んでいる人たちが清廉潔白で、聖人君子のように感じさせてしまう例は、意外と多いのかもしれない。と同時に、果たしてどうやったらそんな誤解を解けるだろうか、と最近考えることが増えてきた。
お茶会のように自由に、ざっくばらんに語り合う場「TEA TIME」
EQを学んでいる人、またそれを多くの人に伝えようとしている人を流行りの言葉では、「意識高い系」とカテゴライズされるかもしれない。きっとそう感じさせてしまう所以がどこかにあるのだろう。そこは伝える側の反省点として改善する必要がある。「私なんて、そんな余裕ないし、考えるのも億劫。自身についての学びなんて正直論外」こう感じている方もいるだろうと思う。そんな方には、敢えて学びの場ではなく、お茶会のように、自由にざっくばらんに語り合う場はどうだろうか?
DAIJOUBUでは、「Tea Time」という場を月2回設けていて、一つのトピックを基に、自由闊達にあれやこれやと語り合う時間だ。DAIJOUBU版しゃべり場とでも言おうか。何か答えを出すわけでもなく、それぞれが感じたことを意のままに話し合っていく。だから一つの視点だけでなく、別の角度から見ればこういった考え方もあるのだと、結果的には気づき発見がとても多い時間となる。肩肘張らずに好きな飲み物を片手に話せる場というのは、中々あるようでないと思うのだが、一度参加してみるのはいかがだろうか?
生きる力をつくる・はぐくむをコンセプトとした
Art-Lovingというアートカンパニーで、演劇創作と演劇共育を中心とした教育事業に勤しむ。
舞台演出家・演劇共育実践家・ラジオパーソナリティ(FM軽井沢)として活動中。