1. HOME
  2. ブログ
  3. 向き合うのではなく、伴走するということ。

向き合うのではなく、伴走するということ。

「子どもたちとちゃんと向き合って!」よく聞かれる言葉である。

子どもと向き合うってどういう事なんだろう?顔と顔を突き合わせて、こういうことだから、分かった?と教え諭すことなのだろうか。向き合うという言葉は、自分にとって、そういう絵図のように見えてしまうのだ。

自分自身が子育て真っ只中なわけだが、近年ある問いが生まれている。子育てや教育において、正解不正解などあるのだろうか?ということだ。子育ての教則本、教育メソッドも、世の中沢山あるので、それらを全て否定しているわけではないが、あくまでも一つの傾向は示されるかもしれない。しかし各家庭や各現場において、バックグランドや状況は様々なので、正直一概に言えない部分があると個人的には感じている。こうあるべき、こうねばらならない等の理想的な観念にマイってしまって、自分たちの感情が置いてきぼりになっていることはないだろうか?

先ほど述べたように、子どもたちと『向き合う』というのは、ある意味、『大人の論理』『大人の理屈』で体裁よく上手く片付けてしまう事が多いような気がしている。私が意識していきたいのは、子どもたちが見ている方向を一緒に見ながら、共に感じながら、思考していく、そのプロセスに伴走するという姿勢の大切さだ。

  子どもたちが見ている景色を想像し、思考すること

 子どもたちの見ている方向を感じながら、教え諭しではない、思考させる時間と場づくり

子どもたちが見えている先、未来には、一体何が見えているのだろうか?またどのように物事を前へ推し進めようとしているのか?そしてなぜそのように考えるのか?こういったイメージ、マインドで子どもたちと話していると、私たち親や大人にも沢山の感情が生まれながらも、その上で、どのように思考し、どうやって行動すればいいのか?という自身にとって大切な時間になると思っている。

自分がなぜ、そのように感じるのか?は、自分自身を知らないと見えてこないし、理解できない。私たちに大切な時間は、自己認識(知る)、そして意図する行動を選択し(選ぶ)、選択した行動と自分の価値観や目的と結び付ける(活かす)ことではないだろうか。その思考のプロセスの場と時間を、先ずは大人たちが率先して持つことが出来るか。

今、大人たちは子どもたちから試されている。そして子どもたちは大人をよく見ているという事を肝に銘じて、日々実践していきたい。

関連記事

NEW articles

最新情報はこちらから