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誰もがダイヤモンドの原石

私は子どものころ、よく要領の良い姉と比べられ、どこか劣等感を抱えて育ちました。だから認められたいという気持ちが強くて、もっと良くならなくては、もっと成長しなくては、とどこかで頑張り癖、完璧主義が身についていたようです。EQや瞑想を始めて自分自身と対話するようになって漸く、いかに私が「~すべき」でがんじがらめになっていたかに気がつきました。本当はしんどかったんです。
それに気が付いた今もまだまだ癖が抜けきれずにいて、つい肩に力が入ってしまう私。(全体として両親には感謝していますが、)今、親になった立場として、子どもへの声のかけ方って本当に責任が大きいなと思います。

「悪い」ところに敏感な私たち

日本人の多くは自分の”悪いところ”に気が付くのが得意です。それは家庭や学校で「こうしなさい」「こうあるべき」というルールや道徳、暗黙の了解(空気)を刷り込まれ続けてきたからではないかと思います。そういう「型」があると、それに合わない部分がどうしても「欠点」として目につくわけです。
以前イギリスに住んでいた時に、イギリス人のお母さんが「うちの子は学問でいくタイプではないから」とさらっと言っていたのが心に残っています。「こうあるべき」の前に自分の子どもはどんなことが好きで、どんなことはあまり得意でないかを、もっとフラットに見ているように映ったのです。

考えてみると、すべての尺度で満点が取れる人などこの世には存在しません。勉強が得意だけれどスポーツが苦手な人、いい加減なところもあるけれど芸術センスに秀でた人、何か際立った才能があるわけではないけれど思いやりにあふれた人、強引なところもあるけれど何か大きなものを生み出せる人。パズルのようにみんなに凸凹があって、それが組み合わさって全体ができているのだと思います。国を動かす政治家だって、近くの小さなお店の店員さんの笑顔に心が救われることもあるだろうし、どんな成功したビジネスパーソンだって家を建ててもらうのには大工さんの力がいります。寝たきりのお年寄りも、周囲の人に何かを投げかけているのではないでしょうか。すべての人の人生に意味があり、結局大事なことは、その人が社会的に成功しているかどうかとか、頭がいいかどうかとかではなくて、幸せかどうか、精一杯自分らしく生き、自分の人生に満足しているかどうかなんだなあ・・と改めて思うのです。

一人一人が持っているものを輝かせる

私の瞑想の先生が以前、「生徒さんのことを、この方はどんなダイヤモンドの原石だろう、というふうに見なさい」と仰っていました。瞑想をお伝えするときはもちろんのこと、私は子育てにおいてもこの言葉がとても大切だと思っています。何か「型」をその子にはめるのではなくて、もともと輝く何かを持った子どもたちを、どうやって磨いたら本来の輝きをめいっぱい輝かせることができるだろう、という視点で見るのです。

自己批判癖の強かった私ですが最近、この視点を自分自身にも向けられるようになってきました(涙)。否定され、傷ついた記憶はたくさんあるけれど、でもそれはその人の尺度であり、私には私の持って生まれた意味がある、と少しずつ自分を信じられるようになってきたのです。


傷ついた大人たちも、そしてこれから大きくなる子どもたちも、どうしたら自分らしく輝き、幸せと感じる人生を送れるのか、それは本人にしかわかりません。そこにたどり着くには自分のことを深く、深く知っていく必要があって、EQ・セルフサイエンスはそのためにとても重要な学びと言えるでしょう。自分を探っていく作業は時間がかかりますが、必ずカギはそこにあります。


次回のEQワークショップは7月9日(金)21時~の大人のためのセルフサイエンスクラス。今度のテーマは「希望」です。壁にぶつかった時にどう「希望」を持てるか・・・。ご自身の心の中を探索しに、是非お越しください!

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