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人間は、一生をかけて学んでいく

「○○システムを学んだエキスパート」「○○メソッドのパイオニア、第一人者」

演劇教育やドラマ教育、俳優養成の中で、よく聞かれる言葉だが、こういったシステムやメソッドは多種多様、多岐にわたる。様々なところでこういった宣伝文句が聞かれるが、これは何も演劇に限った事ではないと思っている。EQやセルフサイエンスの世界でも同様に当てはまる。

それぞれが色々な手法を学んだこと自体は、紛れもない事実だと思うので、ここに正解も不正解もない。ただ一つのシステム、メソッドを学んだからといって、全てを体得、達観したという捉え方は、非常に危うさを感じてしまうのだ。

“○○システム” “○○メソッド”の落とし穴

様々な分野、領域の先駆者たちが、試行錯誤しながら、この世に生み出してきたシステムやメソッド。それらを生み出すためには、お金も時間も費やし、並大抵の努力ではなかったろうと思う。後世の人が、時代、時代に合わせて変化、変容させていくための、一つのきっかけ、基礎となる部分になっていることは間違いない事実だろう。

多種多様なシステムやメソッドを学んでいくと、視野や世界観が広がっていく、多角的な物の捉え方が出来るようになったり、新たなアイデアや発想を切り開く土台になるに違いない。

と同時に変化、変容を生み出すきっかけとなるはずのシステム、メソッドが手段ではなく、目的化してしまうと、大変大きな危険が生じてくる。

ある程度の知識や経験を積んだ事で、ある種の「自信」が生まれていくことは、学びのプロセスとしてはステキなことだと思うのだが、システム、メソッド自体を揺るぎない絶対値として置いてしまうと、神格化に近いような現象が生まれ、異なる視点や、考え、発想自体を認めるどころか、否定、批判、非難の、3H現象が起こってくる。

自己陶酔の危険性

絶対値や、総括的評価に慣れている私たち日本人が陥りやすい事例として、高得点、高評価を得た瞬間、安堵して全てを、マスター、達観したような錯覚にとらわれてしまいがちになる。そして次に生まれる感情は、”自己陶酔”の現象だ。自分は出来る、自分はスゴイ、と自己肯定感が高まるのは、とても素晴らしいことだが、これが慢心に変わっていくと、自分はパイオニアだ!とかカリスマだ!とかこういった表現を、平気で使い始めてしまう。

パイオニアやカリスマといった評価は、周囲や第三者が表現することであって、自身から発信するようになってしまうと、自分とは異なる「他」のシステムやメソッドを始め、新しい視点や発想を、平気で完全否定するようになり、多様性とは程遠い、一つの価値観のみに現存することになる。そして、自身を慕うイエスマン以外は、異端な存在として見るようになる。

人間とは、永遠に不完全な生き物

私が演劇教育や、EQの学びを通して、常日頃感じていることは、人間とは永遠に不完全であるということだ。ある意味、達観した境地で、人を評価したりするようになると、自身で神のような聖域を作り出そうとする。

演劇でもEQでも、先駆者と呼ばれ続け、今日までその存在を広く知られている人たちの、最期の姿を調べてみると、どこまでも謙虚で、誠実で、自分という人間の本質、探究を極め続けようとした人たちが多いことに気付く。それは果てしなく続く、自分という人間についてのストーリーを知り続けようとする姿勢こそが、他人からの信頼、敬意に繋がり、今日まで信憑性のある存在として知られている所以なのかもしれない。

「人間は、一生をかけて学んでいく」

我が演劇の師の言葉だが、今も私の心の支え、バイブルとなる考え方だ。

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