願いとしては存在する個の大切さ
私自身が、個と向き合うことの大切さを感じたのは、児童養護施設での子ども達との関わりからでした。
集団生活の中で、どれだけ個にフォーカスできるか、これが課題だったのです。
《日本人の集団と個に対する捉え方》
日本では[思い、考えが一致する(させた)人たち]が、[集団]になりがちだが、
本来、[個の多様な思い、感情がが集まった人たち]が[集団]とならないか?
これは、海外生活をしている友人から聞いた内容です。
日本では、私の経験でも何か企画する際、
目的達成のために、集団をまとめる”一致団結”という風潮があり、
意見の一致、考え方の一致を求められ、個としての感情がある人でありながら、
そこにはフォーカスされにくく、自らの意思というよりは、やらされている感があったことを感じています。
改めて友人から聞いた内容を考えると、
みんなで目的達成の為に盛り上げよう!でも、やり方や考え方は人それぞれだから、
それはみんなで話し合ってフレキシブルに!という
個の感情を含めた柔軟な対応が大切ではないかと思い返してみました。
そして集団とは、《多様な個性の集まり》であり、
個を大切にしてこそ、集団が活きるのではないかと思うのです。
《得体の知れないみんなに翻弄されている》
先日、DAIJOUBUで開催した大人のためのセルフサイエンスで、
《みんな一緒って何だろう?》をテーマとし、紐解いていきました。
個にとって、みんなという存在は、とても大きく、例え間違っていると分かりながらも、
みんなをクローズアップされた途端に、個としての立場が弱くなってしまう。
それは、様々な集団の中で、
《みんなと一緒に…》《みんなに迷惑をかけてはいけない…》《みんなができている…》という、
主語がみんなであり、この得体の知れない言葉が生活の中で飛び交っているからです。
そしていつしか《みんな》という言葉に違和感さえ感じなくなり、
本来大切な個の存在が影を潜めているのではないかと感じています。
《集団の中で、どれだけ個にフォーカスできるか》
これは、人が集まる場所である、社会、教育、福祉、地域、家庭において当てはまる内容だと思います。
思いとしては、個に寄り添いたい、大切にしたいという気持ちがありながら、
それを憚るものは何なのでしょう…。
そのヒントが、7/30(金)21:00から開催される
【大人のためのセルフサイエンス・夏の特別クラス】にありそうです。
この度、一緒にワークショップをしてくださるKeiko先生は、
《日本の教育にも素晴らしい部分がある》とお話しされていたことがありました。
現在あるシナプススクールも、様々な紆余曲折を経ての今があり、
何かをかたちにすることは、決して平坦な道のりではなかったことでしょう…。
そのようなプロセスを経てこられたKeiko先生は、
良い部分を見つけながら、できることを一緒に探してくださる先生です。
最後に、私たちは、DAIJOUBUという名前のとおり、《だいじょうぶ》な場をとても大切にしています。
ご参加いただくお一人おひとりと、安心で安全なだいじょうぶな場をつくりながら、
未来ある子どもたちのために、
改めて大切な個に目を向け、思いをかたちにする一歩を感じながら、
一緒にできることを探してみませんか?
皆さまに、お会いできることを
楽しみにしています♪
児童養護施設の職員を経て、子どもの関わりにEQの領域が必須であることを実感。
現在、学童保育にEQプログラムを導入し、子ども達とワクワク感を体感中です。
すべての人が、 心から【だいじょうぶ】だと思える世界をつくりたいと願い、活動中です。