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西洋的価値観を「正解」にしてしまっていた私の話

みなさん、一度は通ったことがありませんか?
日本の教育や価値観を否定したくなる時期。

「日本って、みんな同じすぎない?」
「空気を読んでばかりでなく、もっと個性を大切にしたらいいのに」
と。

私はありました。それも、かなり盛大に。笑

海外生活が長くなる中で、現地校やインターナショナルスクール、さまざまな国の親たち、異なる教育思想に触れてきました。
自分の意見を堂々と伝える子どもたち。人と違うことを面白がる先生たち。一人ひとりの考えを大切にする教育。
それまで当たり前だと思っていた価値観が、次々とひっくり返されていきました。
新しい世界を知ることは、とても刺激的でした。

そして、いつの間にか新しいモノサシを握りしめていたのです。

「みんなと同じ水筒がほしい」

娘が日本の学校に体験入学したときのことです。
ある日、娘が言いました。

「みんなと同じ水筒がほしい」

その言葉を聞いた私は、思わず鼻で笑ってしまいました。

「えー、なんでみんなと同じがいいの?」
「そんなこと言わないでよ」

今思えば、なんともひどい反応です。
娘はただ、みんなと同じ水筒を持ちたかった。それだけのこと。

新しい環境に入って、周りの子と同じものを持つことで安心したかったのかもしれません。
仲間の一員になったような気持ちを味わいたかったのかもしれません。

けれど当時の私は、「みんなと同じ」を求めることを、どこか否定的に捉えていました。

人と違っていい。自分らしくいてほしい。周りに流されない子になってほしい。

そんな思いが強すぎて、娘の「みんなと同じでいたい」という気持ちを受け止められなかったのです。

「もっと、とがっていいんだよ」

似たようなことは、その後もありました。

娘たちが日本人学校に編入したときのこと。
新しい環境に馴染もうと、周りの様子を見ながら行動していた娘に、私はこんな言葉をかけていました。

「そんなに周りに合わせようとしなくていいんだよ」
「もっと、とがっていいんだよ」
「もっと自分を出して!」

本人は新しい環境で、自分なりに人間関係を築こうとしていたのでしょう。
それなのに私は、娘が周りに合わせようとする姿に、どこか物足りなさを感じていたのです。

個性を大切にしてほしい。自己主張できる子であってほしい。人と違うことを恐れないでほしい。

もちろん、今でもそれらは素晴らしい力だと思っています。
でも、気づいたのです。

「自分らしくいてほしい」と言いながら、私は私が思う「自分らしさ」を娘に求めていたのではないか。

娘自身がどうしたいのかではなく、私が望む姿に近づいてほしかったのではないか。
応援しているつもりだったのに、いつの間にか自分の価値観を押し付けていたのです。

「同じ」は、本当にいけないこと?

海外で出会った教育観の中には、私がそれまで十分に意識してこなかった大切なものがたくさんありました。

自分の意見を持つこと。自分の気持ちを言葉にすること。人と違うことを恐れないこと。

一方で、日本的だとされる価値観にも、大切なものがあります。

周りの空気を読むこと。相手の気持ちを察すること。調和を大切にすること。自分よりも誰かを優先すること。

もちろん、これらを単純に「西洋的」「日本的」と分けられるわけではありません。どの社会にも、どちらの側面も存在しています。

ただ、当時の私の頭の中では、いつの間にかこんな図式ができあがっていました。

「個性を出す=いい」
「自己主張できる=いい」
「人と違う=いい」

そして、その反対側にあるものを、どこか否定的に見ていたのです。

でも、考えてみれば…
周りに合わせられることも、相手の気持ちを想像できることも、みんなと一緒にいることに安心を感じられることも、その人の大切な一部分。

自分の意見を伝える力と、相手の意見を受け止める力。
自分らしく振る舞うことと、周囲との調和を大切にすること。

どちらか一方を選ばなければならないわけではありません。
そして何より、親がどちらかを「正解」にする必要もないのだと思います。

モノサシが増えることと、「正解」が増えることは違う

海外で子育てをすることの豊かさの一つは、さまざまな文化や価値観に出会えることだと思っています。

日本で育った自分が当たり前だと思っていたことが、別の国では当たり前ではない。
そんな経験を重ねるたびに、自分の中のモノサシが増えていきます。

でも、ここに落とし穴がありました。

新しいモノサシを手に入れた私は、それまでのモノサシを捨て、新しいものを「正解」にしてしまっていたのです。

それでは結局、一本のモノサシで子どもを測っていることに変わりません。

自己主張しなさい、でもなく。
周りに合わせなさい、でもなく。
とがりなさい、でもなく。
協調しなさい、でもない。

いろんな価値観を知ったうえで、

「私は、どうしたい?」

と、自分で考え、選べること。

そして選んでみて、違ったと思えば、また考え直してもいい。

正解を選べることよりも、正解がなくても自分で選べること。

そのために親ができることは、子どもに「正しい選択」を教えることだけではなく、
子どもが自分の気持ちや考えに気づき、それを安心して表現できる関係を育むことなのかもしれません。

親もまた、文化の間で揺れている

TCK(Third Culture Kids)という言葉があります。

複数の文化の中で成長する子どもたちを理解するための概念です。

でも、子どもだけではないのですよね。

海外で子育てをする親もまた、日本で育った自分、海外で出会った価値観、
さまざまな国の教育や親たちの子育てに影響を受けながら、自分なりの子育てをつくっていきます。

時には日本的なものを否定したくなり、時にはその良さを再発見する。
海外の教育に感動することもあれば、疑問を感じることもある。

親自身もまた、文化の間で揺れているのです。

私はこの経験を、Third Culture Parenting と呼んでみたいと思っています。

大切なのは、日本の教育が正しいか、西洋の教育が正しいかを決めることではなく、
出会った価値観を一つずつ吟味しながら、自分たちなりの子育てをつくっていくこと。

そして、その過程で自分が握りしめているモノサシを、時々見つめ直すこと。

娘に「みんなと同じ水筒がほしい」と言われたあの日。
今の私だったら、なんて答えるでしょう。

きっと、

「そうなんだ!どんな水筒がいいの?」

と、一緒に探している気がします。

…いや、値段によっては交渉するかもしれませんが(笑)。

海外生活を通して、私のモノサシはずいぶん増えました。

だからこそ、そのどれかを「正解」にして、娘たちを測ってしまわないように。

そして私自身も、まだまだ揺れながら、考えながら。そんな子育てを続けていきたいと思っています。
やっぱり必要なのはEQなのですね。

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