三位一体の「わたし」を生きる~演劇教育と身体性が拓くEQの新しい扉

EQ(感情知能)やセルフサイエンスを語るとき、私たちはつい「感情をどうコントロールするか」という、脳内でのパズルのような作業をイメージしがちです。DAIJOUBUの中では「感情を活かす力」と表現しますが、この言葉が私にはとてもフィットしています。本当の「自己認識」は、もっと私たちの「肉体」に近い場所にあるのではないでしょうか。
「心と体のどっちが大事?」という議論の先へ
「悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか」。 古くから繰り返されてきたこの議論は、私の専門領域である、演劇教育の現場に立つと、少し不毛なものに思えてきます。なぜなら、感情と身体は切り離せるものではなく、常に互いに影響し合いながら回り続ける「両輪」と感じるからです。
役として一歩踏み出したときの足の裏の感覚が、ふと未知の感情を連れてくる。あるいは、胸の奥の微かなざわつきが、無意識に肩をすぼめさせる。これらは別々の現象ではなく、ひとつの生命現象の表と裏のようなもの。そう捉えてみると、自分自身の感情との付き合い方も、少し違った景色が見えてきます。
まだ名前のない「つながり」を信じて
今、私が最も強く感じているのは、「感情」「思考」「身体」の三つが、目に見えない糸で固く結ばれているという考え方です。
現在の科学において、この三者の完全な連動性を証明するエビデンスは、まだ十分とは言えません。脳の動きと身体の反応、そしてそこに生まれる主観的な思考。これらがどう組み合わさって「私」という全体像を作っているのか、そのミカニズムは未だ霧の中です。
けれど、演劇教育、表現教育という極めて身体的な実践の場では、理屈を超えた瞬間が確かに立ち現れます。「思考」で役を理解しようとするのを手放し、「身体」を場に委ねたとき、予想もしなかった「感情」が溢れ出し、それがまた新たな「思考」を呼び覚ます。この三者がシームレスに溶け合う瞬間に立ち会うとき、そこには現代科学がまだ追いついていない、人間理解の大きな鍵が隠されているように思えてならないのです。
「安心」が体をほどき、知性を拓く
この連動性を引き出すために不可欠なのが、場における「心理的な安全性」です。 評価の目に晒され、身体が緊張状態で収縮しているとき、この三者の回路は分断されてしまいます。けれど、心理的安全性が真に担保されたとき、子どもたちの身体には驚くべき変容が起こります。
呼吸が深くなり、声が空間に溶け込んでいく。 相手の些細な動きに、頭で考えずとも身体が勝手にリアクションを返してしまう「共鳴」が生まれる。 そのとき、彼らの内側では、分断されていた「思考・感情・身体」がひとつに繋がり、自分という存在のすべてが、心地よく響き合っている。そんな瞬間が生まれているのではないでしょうか。
「手応え」を、新たな価値創造へ
現場で見守る私たちが感じる、あの震えるような「身体的な手応え」。 それを「個人の感想」で終わらせてしまわないために、私たちは今、専門の研究者の方々と手を取り合い始めています。この身体の変容が、非認知能力や心の成長にどう繋がっているのか。未だ見ぬエビデンスを、共に探究していくチャレンジです。
「実践」という熱量と、「研究」という客観性。 この両輪が回ることで、演劇教育はもっと自由に、もっと深く、子どもたちが「自分自身の全部」を使って生きていくための土壌になっていけるはずだと考えています。
皆さんは今日、自分の「体」と「心」と「頭」が、どんなふうに会話しているのを感じましたか?

生きる力をつくる・はぐくむをコンセプトとした
Art-Lovingというアートカンパニーで、演劇創作と演劇共育を中心とした教育事業に勤しむ。
舞台演出家・演劇共育実践家・ラジオパーソナリティ(FM軽井沢)として活動中。