トラウマ・PTSDに、EQを
こんにちは、まわりーです。2024年もいよいよ終わり。
先週、DAIJOUBUのInstagramでのハッピーホリデー🎄のご挨拶投稿でこんなことを書きました。
もう年の瀬ですね。
どんな一年でしたか?と聞かれると、、私は思い出して言葉にするのに時間がかかりそうです。
疲れて何もしたくなかった日も
まったく不本意なことを言われて怒りを通り越して呆れた日も
考え事をしちゃって眠れなかった日も
やることがいっぱいで終わらなくて自分を責めた(責めそうだった)日も
やりすぎちゃって空回りしちゃった日も
誰も何も言ってないのに勝手に落ち込んだ日も
色んな日があったのに、今年も1年、みーんなよくがんばりました
何かを達成できたと思う人も
何も成し遂げられなかった思う人も
今日のあなたは昨年のあなたとは違うバージョン
今日もこうして生きているだけで、ありがとう!おめでとう!
わたしたちはだいじょうぶ。
Happy Holidays❄
DAIJOUBUより
実は、2022年に3人目の赤ちゃんを産んでから今年の夏前くらいまでの約1年9カ月ほど、産後うつに悩まされていました。あれ?今年5月に大学院を卒業してなかったっけ?と思い出してくださった方がいらしたらありがとうございます。そうなんです。私にとって大学院でのモーレツな勉強や、DAIJOUBUでの活動と、Six Seconds Globalオフィスでの世界こどもの日のEQのプログラムの活動は、私が私に戻れるとても大切なオアシスのような時間で、それがあったからここまで来れたと言ってもいいくらい、実はとっても苦しかったんです。
苦しい、と表現しましたが、ほかにもたくさんの感情がありました。2024年の終わりにもっと華やかで元気いっぱいなコラムを、あるいは研究の日本語訳を、とも思ったのですが、私が体験したトラウマ・PTSD・産後うつ、というトピックが誰かの暗闇を照らす灯りになれるかもしれないと思って、このテーマで2024年のコラムを締めくくらせていただきます。
トラウマ・PTSDとは
まずは、トラウマとPTSDという言葉の意味についてAPA(アメリカ心理学会)を参考にして簡単に要約します。
トラウマとは
恐ろしい出来事に対する感情的反応のこと。出来事直後は、ショックと否認が典型的な表出パターン。長期的な反応としては、感情を咀嚼したり解釈するのが難しくなったり、記憶のトリガー(きっかけ)によるフラッシュバック、人間関係に対する緊張感、頭痛や吐き気などの身体的症状などがある。トラウマ感情自体はほとんど誰しもがそれぞれの形で経験をしたことがあると言えます。トラウマ感情の発生は正常なことですが、これによって自分の人生を歩むことが困難になっていく人もいます。
PTSDとは
PTSDは、Posttraumatic stress disorder;日本語では心的外傷後ストレス障害、と名前がついていますが、つまりは、恐ろしい出来事に対する大きな感情的反応の経験が長期的なストレスを引き起こし、日常生活に支障を来たすことがある状態のこと。
PTSDは自身の命や身体の安全が脅かされ、その完全性(一つである状態)が脅威にさらされるような出来事を経験あるいは目撃した際に発症する。苦痛を伴うフラッシュバックや考え方の癖、夢の中で追体験をする、感情の大きな波に飲み込まれる、トラウマのきっかけに関連すること・想起することを避けるなどのほか、眠りや集中力、記憶力に影響を及ぼすことがあります。
またアメリカ心理学会は、ストレスやPTSDの緩和・克服には、まず中長期的で自分自身の努力とプロセスが必要となると理解すること、そして、建設的な感情との付き合い方を見出していくことが鍵であると示唆しています。
苦しみ、悔しさ、息苦しさ、必死さ、悲痛、、、たくさんの感情が混ざり合っていた
3人目の赤ちゃんでしたが、今回は初めてアメリカで、自分の家族からの助けなしでの産前産後でした。最後のお産のつもりだったのでずっとやってみたかった水中分娩をするためにアメリカでは当たり前のように行われる無痛分娩でなく、助産院での出産を選んだのですが、いろいろな制限もあり、産後という心身とにかく助けが必要だったときに、私がしていた予想と違う状況に追い込まれ、深く深く傷ついて、あっという間に息をするのも苦しいくらい、追い込まれていきました。当時の私の中にあった感情は、
愛くるしい、喜び、拒絶されている、絶望、無力感、無気力、敵意、防御、脅威、傷ついた、恐怖、混乱、引き裂かれた、心地悪い、居場所がない、見捨てられた、悔しい、価値がない、息苦しい、希望
でしょうか。こうして並べてみると、矛盾があるようにも見えるかもしれませんが、いろんな感情がいろんな大きさで私の心に存在していました。もう今はかなり産後うつからは抜けていると思っていますが、この単語を並べながら涙が出ました。とてもきつかったんです。
赤ちゃんのことはかわいくてたまらなかったのと、上の2人の子どもたちがいつも一緒にいてくれたのと、冒頭に書いたように、情熱をかけていた大学院の毎週毎週締め切りの来る大量の読書と論文、時々参加するDAIJOUBUの時間のおかげで本来の自分にしがみつくことができていたなぁと思っています。妊娠中に入学した大学院については、数名から「なんで今やらないといけないの?」と聞かれたことがありましたが、「どうして妊娠は一人でしたんじゃないのに私だけが我慢をするのを後押しされないといけないの?」とか「どうしても今じゃないといけないんだ🔥」と返事していました。あのとき入学して本当によかったと今は思います。物理的には大変でしたけど!笑
セルフサイエンス・EQがどうやってPTSD・産後うつを支えたのか
私たちは強い感情を体験をするとき、そもそも感情に目をやったりすることがあまりないかもしれません。強い感情は、思考する余地を奪うからです。状態や気分というそもそもの基本設定や、深い部分にある潜在意識や価値観などがたとえば土や空気だとしたとき、その状態の上で、刺激によって姿形を変えて自然発生するのが感情です。そのため、普段の自分を整えておく、自分の気分の手入れをする、という努力に意識を向けることがEQの基本中の基本であり、最も心掛けのパワー(意志力でしょうか)を要すると私は思っています。
思考と感情は、私たちの中のキャパを分け合っていて、合計で100になる、と想像するとわかりやすいかと思います。思考をたくさん使っているとき感情はお休みをしていて、感情でいっぱいになっているとき思考は放置されています。EQを学ぶ人は、大きく強い感情がやってきたとき、思考のパワーをあえて借りて、情報を集めたり・あるいは多すぎる情報を一旦おろしたりして、自分の真ん中に戻っていく、という努力をしようとすることがあるかと思います。
私が先ほどから「努力をする」という書き方をしているのは、EQというのは一度できるようになったら一生できる、ということではないからです。幼いころサッカー少女で、PKは100%!とコーチに言われ何百本も打っているうちに絶対にゴール内のサイドネットに当たるように蹴れるようになっていったりしましたが、同じ状況を意図的に用意するのが難しいEQでは、そうやって反復練習の場面を用意するのがまず難しい。意識を向ける・心掛けるということそのものがEQの実践で、EQに終わりも到達点もありません。
産後うつ、産後の生活のストレスによるPTSDは、私にとって正直、青天の霹靂でした。アメリカでは産後の赤ちゃんの健診のたびに、母親がアンケートを答えます。私のかかりつけ医では、それで一定の点数を超えるとほとんど自動的に心理学科へ転送されます。産後1か月の時点で転送され心理学者にかかり、助産院からは産後うつの専門のセラピストを紹介されお世話になりました。産後半年の頃に、産後うつPTSDと診断も受けました。そこで心理学者に言われたのが「他のお母さんとは比べ物にならないくらいself-awareness;自己認識ができている。手段が見つからなくて苦しいのよね」という言葉。薬の処方でなくホルモンのバランスを取るためのサプリを勧められ、定期的に産後うつのセラピストのカウンセリングを受けることになりました。ずっと取り組んできたEQとセルフサイエンスがまぎれもなく私の一部になっていて、一番苦しいときの自分を支えてくれていました。同時に、その先生が言ってくれた共感的な「手段が見つからなくて苦しい」という見立てに心が軽くなりました。そうか、私は自分で手段が見つけられる・乗り越えていけるとまだ信じているんだ、と気づけたからです。
DAIJOUBUのEQでは、橋のメタファーを使います。現状にまつわる情報を集めて、本当に向かいたい先はどこなのか・本当に大切なのは何なのかを捉えて、その間に現実的な橋を架ける。その橋は考え方だったり、解釈だったり、行動だったりします。この橋を架けるには、大前提として自分に正直であることが鍵です。
産後の私はとにかく橋が架けられなくて苦しかったけれど、現状とゴールが見えているなら橋を無理にかけようとするのでなく、時が来るのを、あるいは過ぎるのを待つというのも選択なんだと今は感じます。当時心が引き裂かれていた感じがありましたが、それは希望が私の中にあったから。自分の心と体が癒され、エネルギーが帰ってきて準備ができたときに自然と橋がかかる、という経験をしたのが今年でした。
もしこのコラムを読んでいる方で、いま苦しくて仕方ない方がいたら、とにかく今の自分をキャッチする、本当に欲しいものは・向かいたい先は・守り抜きたいものは何なのかを見出すことをやってみていただけたらと思います。もしかしたらDAIJOUBUが手助けできるかもしれないので、ぜひ誰かと話したくなったらお問い合わせしてください。2年弱続いた産後うつはとても楽しいものではなかったですが、今日の私は、2年前の自分とは比べ物にならないほど別人になりました。内側がうんと成長したのは明らかです。
私のまま、変化:成長できる――バウンダリーとだいじょうぶ感の力
私の産後の細かい話は他の人が関わることなのでコラムに書くことは避けますが、この2年間で私の中でもっとも成長したのはバウンダリーです。そしてそのバウンダリーのために大切だったのが、だいじょうぶ感だった。
私のままである、ありのままである、というニュアンスの英語の言葉にauthenticityというのがあります。自分らしさ、唯一無二さ、ホンモノ感、そんな感じです。この「らしさ」はわがままではなく、誰かの話を聞かないのでもなく、むしろやさしくて、堂々としていて、人の話も興味深そうに聞いていて、自分と一つになっている、そんな印象があります。このらしさの発揮には、とにかくだいじょうぶ感が必要です。
私の大学院入学・出産のタイミングで、DAIJOUBUは運営体制を大きく変革しました。その頃から、誰かのだいじょうぶ感が揺らいだら、体制やルールを変えて、持続可能な運営体制を整えています。おかげで私が自分でいっぱいいっぱいだった間にもDAIJOUBUはそこにあって、ジャッジせず聞き合うカルチャーや、具体的な誰のどんな行動や発言に影響を受けたかをシェアするセレブレイト、そんな中でシンプルでパワフルな問いによって自分を探求するセルフサイエンス―—こうして自分をニュートラルに戻す場所、だいじょうぶ感を醸成する場所に、DAIJOUBUの定期クラスの場がなっています。たくさんの重たく強い感情にいっぱいになっていた私が、「そうだ、私はダメじゃなかったんだ」と自分の所に定期的に戻ってこれたのは、DAIJOUBUの場のおかげでした。
こうして自分がEQ的なかかわりを受けられる場があって初めて、ヘルシーな、建設的な、バウンダリーを引く段階に行けるように感じています。バウンダリーというのは過激なものではなくて、ゼロか100でもなく、相手も自分も尊重するという意思で行うことができます。今年後半、やっとそこにたどり着けたように思っています。そしてやっと、産後の私を当時自分で十分に守れなかったから、このバウンダリーは当時の自分を抱きしめるために引く、自分のために立ち上がる1つのアクションとしてバウンダリーを引く、と思うことができています。当時の私と同じように苦しむ人を守りたい気持ちもあります。産後のお母さんに、妊娠中のご夫婦のところにEQが届いたらいいなぁとも。
たった1人の痛みの共有が、ほかの人の痛みも癒す
今日のコラムは、私が自分の産後うつPTSDという個人的なことをたくさん書きました。重たかったらごめんなさい!私が自分の体験を科学的に勉強したい、と心理学者に相談して勧められた THE BODY KEEPS THE SCORE(邦題:身体はトラウマを記録する)という本の3周目を今読んでいるのですが、その中で、
安心安全な空間は「ここは安全な場所です」と張り紙があれば作られるものではない。1人が心の中を共有する口火を切ったとき、その場にいる他の人の中にあった真実がようやく自覚され、そこから癒しが始まることがある。
といった内容がありました。存在していないように解釈されていた事実が、話すに値しないと思い込んでいる真実が、世の中にはごまんとあるのかもしれない。私たちは知らないうちに、社会規範や文化的なルールの影響を受けて「このことをこうやって感じてはだめだ」というような制限を自分自身にかけている場合があります。そうすると、深く傷ついた自分がなぜ傷ついたのか・どんな感情が混在していたのか気づけないまま、癒されることのないモヤモヤや傷が長く深く心の中、潜在意識の中に居座っていくことがあります。傷ついた感情の克服、つまり癒しは、自覚することでやっと始まります。
このコラムが、2024年よくやった自分を見つけたり、自分らしさに光を当てたり、暗闇に小さな灯りを灯すのをお手伝い出来たらとても嬉しいです。
DAIJOUBUより、みなさん良いお年を!
DAIJOUBUのプログラムとは
EQスタイル診断を受けてみる
自分を生きるためのセルフサイエンス
シンガーソングライター・EQエデュケーター
EQの力を心から信じるアメリカ在住の3児の母
現在アリゾナ州立大学 社会的正義と人権 修士卒業
感情知能EQと出会い、生きることがうんと快適になった経験から多くの人に、
特に子どもたちを取り巻く環境にEQを一秒でも早く届けたいと願い奔走している