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手放す・選ぶ を支えてくれたもの

あっという間に2024年もあと1か月になりました。
今年を振り返ってみれば、「手放す」「選ぶ」について、私も子どもも、感じ、考えることが多かった1年でした。
子どもは今年小学6年生、節目の年、これまで6年間で頑張ってきたこと、習い事、進路について、この先どうするか考えるタイミングだったということがあります。子の想い、親の想いが時にぶつかることもあり、しんどい思いをした時期もありました。頭ではわかっていても、心がざわつく、ホントにこれでいいのか不安になる。
振り返って今思えば、そんなに深刻にならなくてもよかったのにな、大したことなかったな、と思うことも多々。でもその時は「あーもうだめだ!」と頭を抱えて悩んだり、感情がジェットコースターのようになったこともありました。
それだけ大事なことだったのだと今は思えるし、当時の私や子どもに「お疲れさん!」と言ってあげたいです。今はそう思えるけれども、私達の中では大事な選択が多かったそれぞれの場面で、常に大切にしていたな(意識していたな)ということ、「手放す」「選ぶ」際の助けや支えになったものについて、振り返って、今後同じ場面が来た時にも助けに、支えになるように書いておきたいと思います。

違和感や不快な気持ちを無視しない

6年生になると、小学生の間取り組んできたお稽古事を続けるか続けないかの問題はよく聞く話です。
うちの場合、ある目標に向かって(子も親も結構必死で)頑張っていたこと、ずっと続けると本人も言っていて、当然のように続けるものだと思い込んでいました。また、私自身が小学生の時に中途半端にやめて、大人になって今でも後悔している事があり、子どもにはとにかく1つでいいから好きなことを長く続けてほしいという私個人的な想いもありました。
そんな中で、ある時、突然「辞めたい」と言い出した時には、思い込みや自分の想いが強かったこともあり、想像以上にびっくりとショックの気持ちが大きく強く、消化しきれずにいました。
子どもと一緒にDAIJOUBUで学ぶようになってから、こういう時、「EQやな!」「自分図鑑やな!」が親子での口癖になっていて、DAIJOUBUモードをONにして詳しく話を聞くと、少し前から、思うような結果が出ず、練習や試合が楽しくなくなった、好きだし続けると思ってたし、ここを踏ん張らないとだめだと思っていたけど、ホントは心の奥底でしっくりこない違和感や、しんどさを感じていた、それがもう限界だということを話してくれました。「なんだか違うな」「気持ち悪いな」という本当の気持ち、自分の中にあるサインが、周りからの期待や一緒に頑張る仲間の存在、思い込み、そう思ってはいけないという蓋により見えなくなっていたようです。

違和感(いわかん)とは、自身の感覚や認識と現実の状況が一致しないときに生じる心理的な不快感を指す言葉である。これは、人間が日常生活を送る上で自然と形成される期待や予測が外れたとき、または自身の価値観や信念と矛盾する事象に遭遇したときに特に強く感じられる。違和感は、人間が自身の認識を修正し、環境に適応するための重要な指標となる。          
ーWeblio辞典 実用日本語表現辞典より抜粋

違和感という言葉をネットなどで調べると、上記のような説明がありました。
「自身の認識を修正し、環境に適応するための重要な指標」と書かれている通り、自分の中にあるサインに気づけたことを大切にして、一度離れてみる(手放してみる)ことにしました。すると一気に解放されたように、練習や試合に要していた時間が空き、友達と思いっきり遊んだり、レジャーとしてのお出かけができるようになり、子ども自身の表情が活き活きしていて、よっぽど我慢していたのだな・・かわいそうなことしたかもな・・・と反省してしまいました。
何か1つのことに取り組む時、目標を持って頑張る時、我慢や辛抱が必要になる場面はあるとは思います。実際、強くなりたければとにかく続けることと指導されていたし、途中で投げ出すと、”やめ癖”や”あきらめ癖”がつくのではないか、あとで後悔することになるかもしれない、そんな思いや考えがさらに複雑にして奥底に追いやってしまっていたのかもしれません。そんな奥底にあるサインに気づくためには、普段から自分の気持ちをしっかり感じること、見に行く習慣、その意識をいかに持ち続けているか、何か起こった時の「EQやな!」「自分図鑑やな!」の口癖ってよかったのかもと気づかされた出来事でもありました。
子ども自身がしっかり自分の気持ちと向き合い、違和感に気づいて話してくれて、親と子で話し合った上で納得して手放したことで、そのあと新しい気づきを得ることにも繋がりました。
また、ちょうど進路選択で迷っていた時期でもあったので、そこでもこの「違和感」をキーワードにして、たくさんの学校の中から、”自分達が納得できる選択”ができたのではないかなと思っています。

『手放して空いた手には、新しい何かを入れることができる』

『今持ってるものを手放したとしても、空いた手にはまた新しい何かが入ってくる、私達は手にすることができる』
この言葉は、10年以上前、会社を辞めて家で子育てに明け暮れ、一人で悶々としていた時期にたまたま受講したセミナー講師の方が話されたもので、聞いた瞬間、肩の力がどっと抜けてホッとして、自分の手を見つめて「新しい何か」を想像してワクワクしたことを今でも鮮明に覚えています。
今回の子どもの一件で、手放した瞬間、自由な時間を手に入れ、小学校最後の1年で、今まで遊んだことがなかった新しい友達ができたり、幼稚園の頃から続けていたピアノの楽しさにあらためて気づいて新しい曲にチャレンジしたりと、すでに「新しい何か」を手にしています。

また、今夏、軽井沢でDAIJOUBUが主催した、『KIDS SUMMER FESTIVAL 自分図鑑 in軽井沢』に親子で参加し、子ども達だけにブースのファシリテーターをまかせてもらうという、とても貴重な経験をさせてもらえたことをきっかけに、
「自分は本当はこういうことをやってる時のほうが楽しさを感じる」
「(試合などで)戦う、勝ち負けより、こういうことが得意で好きなのだ」
「一人よりみんなで協力して何か1つのことを取り組むことにやりがいを感じる」
など、自分の心地よさ、得意と思うことを見つけたようで、そういうことを中学でやってみたい!と話してくれた時は、子どもがとても大きくなった感じがして、これから先の子ども自身の新しい人やモノ・コトをとの出会いを想像し、楽しみになりました。

長く続けていることや、所有しているもの(こと)は、時間が長いほど、思い入れが強くなれば強くなるほど、手放すのにパワーがいり、受け入れるまでも相応の時間が必要になりますが、この言葉は、そんな執着や手放すことの不安な気持ちを軽くし、ワクワクに変えてくれる言葉だなとあらためて思います。
この先を生きていく上での助けになる言葉の一つとして、親子ともに大切にしたいなと思います。

いつもそばにある「大丈夫感」

子どもが辞める時、仲間の親御さん達や指導者の方から「またいつか再開したくなったら戻っておいでー」「そういうお年頃よね」と声をかけてもらったことがとても救いになりました。
親子2人にとっては一大決心で、悶々として視野が狭くなり、必要以上に深刻に受け止めてしまっていたのですが、なんだ、別にそんな大したことじゃなかったよなと冷静になることができ、もっと大きな時間軸でみればよかったのだなーと、肩の力が抜けました。ついつい不安や心配が大きくなってどうしたらよいかわからなくなっていても、客観的な視点や楽観的な大丈夫感が周りにあれば、いっぱい背負い込んでしまった肩の荷を軽くでき、安心して、手放す・選ぶことができるように思います。

あとはやはり、DAIJOUBUがいつもあることの心強さです。
「DAIJOUBUのみんなだったらこういう時どうするかな、どんな言葉をかけるかな」
「DAIJOUBUのみんなに聞いてもらおうかな」
が、常に自分の中にあって、それが励ましにも支えにも気づきにもなっています。
毎月必ず開催される3つの定期クラスでは、今回のような日常の出来事によるアップダウンやそれにより消耗した心身を、振り返ったり、整えたり、癒したりすることができる。自分が大丈夫じゃない時でも、あたたかく迎え、包んでくれる。今年はアップダウンの幅が激しい年だっただけに、余計に、居場所としてのDAIJOUBUの大切さ、存在の大きさを親子で実感した1年でした。DAIJOUBUに関わる全ての皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。これからも自分の、そして周りの大丈夫感を大切にして、親子で学び続けていきたいと思います。

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