1. HOME
  2. ブログ
  3. 対話からしか希望は生まれない

対話からしか希望は生まれない

私の本業である、演劇的手法を活用した表現コミュニケーション教育が、近年、全国各地で注目を集めている。先進自治体は、兵庫県の豊岡市で、現在、市内全ての小中学校でコミュニケーション授業が実践されている。

だれがこの授業を進めているのかという点だが、豊岡市に限らず、演劇人がファシリテーターを務めるケースが多く、学校教員たちと連携しながら実践するケースが多いのが現状だ。演劇人が学校教員と連携しながら実践していく上で、最近気がかりなことがある。それは、演劇人たちが「学校が変わらない」「先生が変わるべき」いうことを嘆いたり、主張するケースが非常に多いことだ。現状を否定するのではなく、先ずは自身の研鑽を含め、自ら行動しないと状況は一向に進まないということを痛感している。やはりベースには、学校や教員に対してリスペクトするという姿勢をもたないと対話自体が生まれない。今すべきことは、現状を嘆くのではなく行動することだと思っている。

漠然としたイメージで捉えてしまう落とし穴

そのためには何が必要か?どんなアクションが有効かという具体的なことを議論していかないと、漠然としたイメージ論だけに終始してしまいがちだ。そのあたり養成講座やフォーラムの場で具体策を語っていきたいと思っている。自身の固定観念で旧態依然とした学校のイメージを捉え、その傾向を一緒くたにして十把一絡げにするのはもういい加減やめにした方がいいのではないだろうか。

様々な施策やチャレンジが学校現場で起きているということを演劇人に限らず、教育関係者はもっと勉強した方が良いと思う。知れば知るほど色々な取り組みがなされているし、暗中模索の中で葛藤しながらも日夜懸命に行動している学校や先生たちがいるということを果たしてどれだけの人が知っているのだろうかと改めて問いたい。とかく安易な学校、教員批判に終始する人はそういう実態を知らなさ過ぎるような気がしてならない。そういった批判精神の姿勢では学校現場や教員たちからは永遠に共感されないだろうと思うし、信頼関係をベースに対話することすらままならなくなるだろうと思う。感情的に相手を否定すること、批判すること、その時は自己顕示や優越感に浸ることができるかもしれないが、思考的に対話することはまずもって不可能になってしまうだろう。

学びの多様化は進んでいく

そして学校ありきで演劇教育導入を試みるのではなく、これからは、地域の寺子屋的な学び場がもっと必要とされるはずだ。クラブ活動の地域移行が始まるだけでなく、教育支援センターやフリースクールでも出席扱いになったり、評価に関することも先般、文科省において法令改正もされた。学校魅力化も進めていくべきと思うが同時に学習環境の魅力化。そういう視座の転換や、タイムリーな動きを見逃さないことが肝要ではないだろうか。

関連記事

NEW articles

最新情報はこちらから