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セルフサイエンスとインクルーシブ教育

 「セルフサイエンスとインクルーシブ教育」今週末6/28のTeatimeのテーマでもあります。私自身、インクルーシブ教育に携わる仕事をしながらDAIJOUBUではセルフサイエンスを深めていく中でこの2つは関連しあい、どちらも大切なものだと感じています。ただ、その感覚を言語化するのが難しいとも感じていました。

 そんな中、先日インクルーシブ教育に関わるある研修に参加させていただきました。その中で多くのことを感じることができたので、今回はそこでの内容からセルフサイエンスとインクルーシブ教育に関して述べていこうと思います。

障害者と関わったことのない人の割合は51%

 日本では、障害者の方と関わったことのない人の割合は51%ということで、他国に比べて断トツに高い数字だそうです。このことが何をもたらしているでしょうか…

 例えば、自宅の隣に精神障害者施設が建設されるとしたら、日本では約2割の人が賛成、8割の人は反対をするという結果がでているそうです。この結果を他国と比べてみると、例えばスウェーデンでは自宅の隣への建設賛成が44.6%、アメリカでは45.4%、インドでは61.6%と他国と比較しても低いことがわかります。

 では、なぜ反対の割合がこのように、多くなってしまうのか。差別がいけないことも障害についても日本人は知っています。ですが、反対理由の中で割合が一番多いのは「漠然とした不安」で「なんか危険なんじゃないか」等々の思考によって感情の部分で「嫌だ」となってしまう人が多いそうです。

 これは、障害をもった人とそもそも関わったことがない、関わる機会も無いということによって引き起こされてるように思えます(いつしかのTeatimeでも話題になったかと思います。)現代社会の縮図である、学校という場でまずはそのような機会、環境を整えることが多様な人々と協働する世の中に繋がっていくと思います。

※参考記事

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/413a5e2005eb839414096276ace1ea3f63d94dec

学校はマジョリティ仕様。学ぶ上で障壁となっているものは何か

 学校は基本的にマジョリティ(多数派)仕様につくられています。それは、この社会も同じです。マイノリティ(少数派)である人たちを想定してつくられていないので、そこに社会的な障壁が生まれます。

例えば、車椅子ユーザーを前提にビルや学校が設計されていない。ですとか、ADHDで注意を1つに向けることが難しいという特徴がある子どもがいることを前提に活動や教室が設計されていないが故に困りが出てくるなどです。

社会的障壁には下記のような種類があるそうです。

・事物の障壁:建物や設備に関する障壁

・精度の障壁:ルールなどにおける障壁

・慣行、文化の障壁:明文化されていないが障害のある人を意識していない慣行や文化による障壁

・観念の障壁:偏見、無知、無関心の障壁

マイノリティの人たちにとってはこのような部分で学校で学ぶ上で障壁になっているものがあります。その障壁を解消するために必要なことが近年よく言われている「合理的配慮」です。

「子どもの意見表明権」子どもの声を中心とすること

 合理的配慮などを行う際に、忘れがちなのが子ども自身の声です。大人が子どもの実態の把握やそれに伴って環境を整える合理的配慮を考えて、提案をする。その際にこちらの提案で終わって子ども自身の声、本人はどうしたいのか、本人の願いは何なのかといったところを忘れがちです。これは振り返ると私自身も当てはまったなと感じています。

 子どもには意見表明というものがあります。障害者権利条約では、障害のある子どもは意見表明権の主体とされて自由に自己の意見を表明する権利があります。そして、子どもの権利条約では、どんなに幼い子どもも意見表明権の主体とされており、「乳幼児は、話し言葉または書き言葉という通常の手段で意思疎通できるようになるはるか以前に、様々な方法で選択を行いかつ、自分の気持ち、考えおよび望みを伝達している」と明記されています。

 この、「子どもの声」を中心とした合理的配慮を探りながらインクルーシブな学校にしていくには、まず子ども自身が自分を知る機会が必要です。「自分は何が好きで、何が嫌いか」「自分にはどんな環境があっているか」「どんな学び方が自分にはあっているか」…

この自分を知る機会というのがまさにセルフサイエンスで、インクルーシブ教育には欠かせないものだなと改めて感じました。

対話をして誰もが過ごしやすいインクルーシブな学校を

 インクルーシブな学校の実現のためには、対話が欠かせないとも思います。子どもが自分自身のことを知り、自分自身にとって有効な合理的配慮等々意見を表明する。ただ、それだけだと「誰もが過ごしやすくなるか」といったら疑問です。

例えば、「音楽が大好きで大音量で好きな音楽流している時が一番集中できるからBGMを流してほしい」と意見表明した子どもがいたとします。

すると、ある子どもが

「僕は音が苦手(聴覚過敏)で些細な音も気になって集中できなくなったり疲れたりするんだ」

と意見表明しました。

ここに、対話が生まれます。自分のことを理解した上で他者も尊重しながら学ぶ上での社会的な障壁を解消する最適解を探る。

合理的配慮のプロセスの1つに「建設対話・合意形成」というものがあります。これは誰もが過ごしやすい学校を実現するには不可欠なもです。

そして、対話をするには自分の意識を表明する必要がある。自分の意思を表明するには自分のことを知れなければできない。

このような点で、インクルーシブ教育という枠組みの1つにセルフサイエンスという要素が必要だと改めて感じました。

今週のTeatimeではこの辺りをテーマにざっくばらんに色んな話しができればと思います。

 

 

 

 

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