1. HOME
  2. ブログ
  3. 自分をみて言葉を丁寧に選ぶ

自分をみて言葉を丁寧に選ぶ

今年は家族にいろいろな変化や動きがあり、仕事との両立が難しくなり、今夏から、完全在宅ワークを選択させてもらうことにしました。
これまでは、週に何度か出勤して不足部分を会って話すことで補完していましたが、完全在宅ワークとなると、時にはリモート会議・電話などを活用しながらも、報告・連絡・相談の大半がチャットやメールなどの文字媒体となりました。
私たち、DAIJOUBUも、緊急事態宣言で外に出られない子ども達のためにオンラインで「POP-UPフェスティバル」を開催したことが発端で誕生・発展したプラットフォームで、国内外に散らばるメンバーや参加者とは全てオンライン上(リモート会議やチャット)のやりとりとなっています。

なので、私の仕事や活動のコミュニケーションは、ここにきて、ほぼ全部が文字でのやりとりとなってしまいました。

文字に頼らざるを得ない状況で・・・

規制が緩和され、リアル(対面)でのコミュニケーションがコロナ前のように戻っていく中、在宅ワークを選択せざるを得ない状況で、チャットやメールなどの文字に頼るしかありません。
完全在宅ワークになってから、職場のリアルタイムの状況や、仕事の進捗、前後の状況が見えにくい(見えない)中、文字によるコミュニケーションの割合が急増し、気を配っているつもりでも、苦戦し、あらためて言葉のやりとりの難しさを日々感じています。
・伝えたい一心で、一方的に自分の考えをどっと(長文で)送った
・今言っておかないと忘れちゃうからタスクを一気に送った
・すぐに返事ができずその間に状況が変わり、言いたいこと、伝えたいことが言えずに終わってしまった、意図しない状況になってしまった
・こちらがホントに伝えたかったことが先方に違う解釈で伝わってしまった
・会話のスピードについていくのに必死で、ついつい要らぬ発言を送ってしまった
・チャットが白熱してしまい、ついつい感情が出てしまった
・普段、リアルな会話の量が減った分、話したくてついつい相手の状況を考えず送ってしまう
・業務に必要な情報(日付や数字、タスクなど)を間違えて認識、伝え忘れ
など・・・・。

メールやコラムとチャットの違い

メールや、今こうして書いているコラムは、一度書いた文字達・文章を何度も読み返し、誤字脱字がないか、相手に失礼がないか、文量は適切か、どうやったら読みやすいか、伝わるか、などを試行錯誤しながら作成します。仕事では、誰かがつくったメール文が問題ないかのチェックをお互いしあったりしています。
自分の気持ちや感情、伝えたいことが適切に出せているか(認識して表現できてるか)、読み手の立場に立って(例えば、忙しいだろうから・・とか、どういう言葉が響きそうか・・など)、文章の上手下手はさておき、作成の段階で、割と自分のEQを活用しながら作成していると思います。
一方、チャットは、リアルタイムに会話が進行し、また、スピードも様々、相手が1人の場合もあれば複数の時もあり、自分のペースを保ちにくく、また、仕事ともなると、複数のタスクを同時進行させながらの落ち着かない状況や忙しい最中の時もあり、上記に例をあげた中にも何度も出てくる「ついつい・・・」が起こりがちになってしまいます。

わかっているのに「ついつい」

わかっちゃいるけどやってしまう「ついつい」。
Six SecondsのEQモデル(EQを高めるサイクル)のスキルの1つに「自己パターンの認識」というものがあります。自分自身が「ついついやってしまうこと」「習慣的になっているクセ」を自分で気づく・認識ができる力のことですが、定期的にEQテストで自分のチェックをすると、私の場合、「自己パターンの認識」が課題としてあがることが多く、意識しているつもりでも、毎回のように出てきてしまいます。特に、忙しくなったり、バタバタしている時にこの「自己パターンの認識」ができにくくなるという結果が出るので、チャットでの失敗が起きてしまうのも、そういうところなのだろうと思います。

自分をみて言葉を丁寧に選ぶ

文字によるコミュニケーションでも、感情は十分伝わります。チャットなどのリアルタイムのコミュニケーションはそれがより乗りやすく、リアルで面と向かっていない分、選ぶ言葉によって、相手の状況によって、その受け取られ方が様々になってしまう。
だからこそ、自分が選択する”言葉”、普段使う”言葉”、「自分のパターン」にもう少し意識を向けないといけないなと、あらためて気づかされます。
チャットに限らず、普段の会話でも、メールやコラムを書く時のように、自分の発する言葉や、他者同士の会話などにも注意深く意識を向けるように心がけ、EQをしっかり活用していきたい。
どういうメッセージや言葉が送られてきたら自分がどういう感情になりがちか
会話の進捗状況の中での自分の気持ちの揺れ動き
こういう言葉を言うと相手はどういう反応をするか
自分はホントはどうしていきたいのか、相手はどうしたいと思っているのか
文字に限らず、リアルの会話も含めて、どちらか一方に肩入れせずバランスよく意識を向ける。
なかなか難しいけど、大切なことだと思っています。

現在、親の通院・診察に週に数回通っているのですが、以前から主治医と親の会話がイマイチかみあわなかったり、主治医の言うことをなかなか受け入れず、先生が困ってしまったりがしばしば起きていて、その仲介役として付き添いをしています。
最初は、力関係的にどうしても治療してくれてる主治医の言うことに肩入れしがちで親を説得したりしていましたが、最近は、自分自身のコミュニケーションの反省もあって、それぞれ両者の会話で出てくる言葉をしっかり聞くようにしています。
かみあわなさの奥にある、それぞれの立場や思い、感情を大切に考え、また、それぞれのクセなど、「どちらか一方(主治医・親)に肩入れせずバランスよく」みるためには、それを受け止める自分の感情の揺れ動きにも目を向けなければいけない。キャリコンで様々なスキルや傾聴などを学んできていたはずだったのに、身近であるがゆえに、全然できていなかったなあということにも、あらためて気づかされました。
その上で、親や先生と話す時に、言葉を慎重に選ぶように意識をすることで、テコでも動かなかった親が「そやな」と反応してくれたり、お互いがモヤモヤしない選択に繋がってきています。

日々の忙しさの中で、つい見失いがちの「自己のパターン」について、”言葉”にも意識を向け、丁寧に扱い、選んでいきたい。今夏あらためて実感しました。

関連記事

NEW articles

最新情報はこちらから