永遠に続いていく自己探究の旅
『自分』という人間を知っていく
人間は人生を積み重ねていくと、ある時から、経験と知識を振りかざし、自己の考えに絶対値を置きたくなってくる生き物だと思う。これは自分がやってきたことを正当に評価してもらいたい、という裏返しでもある。無論、誰にも認められずに頑張り続けるということは、相当ツラいことだと思うし、自分が懸命に取り組んでいることは、他者から素直に評価してもらいたい、それは至極真っ当な想いであろう。
しかしその想いを得たいがために、自己顕示のオンパレードや、他者を蔑み、否定、批判、非難することで己を保とうとする姿を目の当たりにすると、心底残念に思ってしまうのだ。自己の探究が素直に評価されるときは、自身を「カリスマ!」「第一人者!」「パイオニア!」と、対外的に主義主張している時ではなく、自分が取り組むべき実践や活動に無我夢中でフォーカスしている時だ。そういった時は外野の余計な雑音は気にならないし、自分が何をしたくて、なぜ取り組み、どのようにしたらいいか、と根源的な問いに対して、より良い思考が働いている瞬間でもある。思考が上手く働いているときは、自分という人間について探究したいというモチベーションが高い証かもしれない。
”人間とは永遠に不完全で未熟な生き物”
様々なところで、これまでも幾度となく発信していることだが、人間は、トライアンドエラーを繰り返すことで学び、成長することが出来る。エラー=致命傷という観念が強いせいか、恥部をさらけ出すことに躊躇する人が多くいる。失敗しても大丈夫!と声高に叫んでいても、意外と守りに入ってしまう人や団体を幾度となく見てきた。こういった環境では、トライアンドエラーの気運が起こりにくくなる。人間とは永遠に不完全で、未熟な生き物であるという前提に立てば、何も怖いことなどないはずなのに、どこか失敗した自分を責めてしまうような感覚に陥ってしまう。それはその場がどのように成り立っているかに起因している。心理的安全性が担保されていない場では、中々表出することも難しいし、その先の表現をするというところまで行きつかなくなってしまうだろう。
そんな心理的安全性を存分に担保された場、それがまさにDAIJOUBUだと思っている。人間の人間たる所以についてや、自身の様々な言動や行動を通して、じっくりと己について探究する時間、そんな場を提供し続けられたらと願う日々だ。最近、自身のアイデンティティについてよく考えることがある。自分らしさとは、いったい何なのだろうか?そういったことについてじっくりと深掘りする時間、それが来月のDAIJOUBU セルフサイエンスクラス「アイデンティティ」でも行う予定だ。想定問答式のやり取りではなく、全ての答えは皆さんの中にある!そいういったEQの時間にぜひご参加いただきたい!
生きる力をつくる・はぐくむをコンセプトとした
Art-Lovingというアートカンパニーで、演劇創作と演劇共育を中心とした教育事業に勤しむ。
舞台演出家・演劇共育実践家・ラジオパーソナリティ(FM軽井沢)として活動中。