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いつもと違う視点から自分を見つめる

最近首から背中がずっと重いので整体に行きました。

身体に負担の大きい姿勢をすることが多いのが問題だと指摘され、施術を受けた後、先生が日常生活で気を付けることなどいろいろと話してくださいました。その中で「一度悪い姿勢を覚えると、それが正しい姿勢と脳は思ってしまって、一度整体で直してもまたそこに戻ってしまう」というお話を伺い、身体と心って一緒だなあとしみじみ感じました。

悪い、悪くないは置いておいて、私たちの心も、環境や誰かからのインプットによって徐々に癖やパターンを身に着けます。「さっさとしなさい」と何度も言われていると「素早くできることが良いこと」と思って育つかもしれません。最初、場合によっては抵抗があったり、新しく感じたその行動や考え方も、徐々に当たり前のこととなり、それが正しいこと、そんなもの、と思うようになり、意識すらしなくなります。その時点でほかの方法を示されても、一度ですんなり受け入れ、身に着けなおすことは難しいのではないでしょうか。

先日仕事で若手社員を対象とした、簡単な自己理解をテーマにした研修のアシスタントをすることがありました。最初は自己理解って何か、いまひとつはっきりしないという方もいらっしゃいましたが、研修が進み、だんだん自分自身の特徴がわかってくると、「そういわれれば自分ってそう」とか「みんなこう思うかと思っていたのに、違う人がいるのは驚き」というようなコメントがあがりました。私たちの癖(または生来の特性)はあまりに自然にしみついていて、それについて普段は特段考えることもなく、言われてみて初めて気づいたりするものもたくさんあるのかもしれません。

ここで注意したいのは、私の姿勢の癖によって背中が重くなってしまったように、心もそんな無意識の癖に重くなってしまう時があるかもしれない、ということです。私にとってはあまり意識していなかった何気ない姿勢が積もり積もって肩こりや腰痛になっていたように(横隔膜なども固くなっていると言われました・・・汗)、上述の例なら、速く、速く、と無意識に自分を急き立てていて、気づかないうちに疲れてしまうなんてこともあるかもしれません。

だから、自分自身がどんな癖を持っているのかを知っておくこと、そのために時々自分をいつもと違う視点から見つめてみることはとても大事だと感じます。

私たちがEQを学んだシックスセカンズの学習哲学にも「魚は水を語らず」というものがありますが、これは魚にとって当たり前の”水”という存在に気づき、それを見つめなおすこと、つまり自分では当たり前と思っていることに新しい視点を投げかけることの大切さを表しています。

身体も整体で整えてもらった後は軽くなるように、心も自分の中で引っかかっていた何かに気づけたときはすっきりすることがあります。そうか、そうだったんだ!って、すっと肩の力が抜けたり、より深い自分とつながれた気がしたりもします。また、気づかずにいたことにはっとさせられることもあります。こんなふうに気づきを得ること、自分をどんどん知っていくプロセスが私はとても好きで、これが私がEQや瞑想を実践する大きな理由の一つです。

余談ですが、整体で整えてもらってすっかり身体が軽くなった翌日は一日、頭痛がひどくて動けませんでした(涙)。瞑眩(好転)反応、と言われるものだそうですが、長年の癖から新しい在り方にそうスムーズに変わることはできないわけで・・・・・この辺りも心と身体は同じなのですね。これから日々姿勢を意識したり、時々また診てもらって、身体も少しずつ、自然な姿に戻していってあげられたらと思います。


DAIJOUBUでは毎月第二、第四(または最終)金曜日にセルフサイエンス(EQ)の手法を取り入れたワークショップを開催しています。自分自身を新たな視点から見つめなおしたり、自分の考えを言葉にしていく、そして他者の視点を知る(そしてそこからまた自分を見つめなおす)、とても貴重な場だなと思います。誰もが「だいじょうぶ」な場です。まだ参加されたことのない方々も、是非一度自分自身を感じにお越しください!

今月のNight Tea Timeは5月28日(金)に『この頃だいじょうぶ?』というテーマでお届けする予定です。

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