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親も先生もリーダーも完璧であらなくて大丈夫

 最近セルフサイエンスクラスでリーダーについて探究したり、私自身も職場で指導員を育成する立場になったりするなかで、当初は「完璧でなければならない」とか、「こうあるべき」のような自分の理想というか、先入観?固定観念?に近いようなものがありました。ですが、今ではそうではなくて、「完璧である必要はない」と気づくことができました。その辺りを色々な立場から考えていこうと思います。

育成係という立場から感じたこと

 現在、私は放課後等デイサービスで指導員として1人1人の支援計画に沿ってSST(ソーシャルスキルトレーニング)や学習支援を行っているのですが、今年度に入って入社してきた新しい指導員を育成するという機会を頂きました。

 育成係となると、なんだか「見本にならなきゃ」「完璧なところを見せなきゃ」というのがなんだか自分の潜在意識の中にあったように感じました。そしてそこに自分で気づけたのは、EQを学び続けてきたからだと思います。自分の指導を育成する指導員に見てもらう時に、「なんだか緊張する」→「この緊張の正体はなんだ?」→「あぁ、なんだか完璧であらなきゃみたいな強迫観念あるな」といった感じで気づくことができました。

 私が思ったのは、「見本になる」はすごく大事なんですが、そもそもその見本とはどんな姿なのか?です。そこで出た答えは、「無理に完璧であろうとする姿」なのではなくて、「常に成長しようとする。ベストをつくす姿」です。そもそも、教育に完璧は無いし常にアップデートしていかなければならないからこそ、トライ&エラーを繰り返して色々な姿を見せたり、逆にそれを促したりすることが大切だと腑に落ちました。

 先日も私の指導を見てもらった後に、質問に答えたりするなかで、「そうか!あそこで○○すればよりよかったなぁ…逆に新たな気づきありがとうございます!」と自分自身が普段見過ごしてしまいそうなところに気づけて、より成長していることを感じています。完璧であろうとすると、そこに気づけない。または、そこを認めないように目をつぶりがちになってしまいます。だからこそ、完璧でない方がいいと今では感じています。

失敗、出来ないことをさらけ出した教員時代

 教員時代、今振り返れば(その時は精一杯で意図的ではないですが)沢山の失敗や出来ないことを子どもたちの前でさらけ出してきたと思います。特に、最後に受け持った子どもたちとの2年間は本当に色々なことが凝縮されてました。

 先生なのに、授業中漢字を書き間違える。生徒に「教えてくれてありがとう」というくだりは何回あったか(笑)それから、クラス内であるトラブルがあった際に、その時は「とにかく早く解決しなきゃ」の一心でその時考えうるベストを尽くした結果、大きな失敗だったこともあります。合唱コンクールは、担任の力量にかかっていましたが楽譜を読むのも怪しい私にその指導は難しかったので、一緒にパート練習入って練習したり…(しかも音程ずれる笑)と完璧とは程遠い姿を見せてきたと思います。

 ですが、1つ確実に言えることはベストを尽くして失敗したり、出来ないことをさらけ出したときは恥ずかしさや、悔しさもありますが同時に自分自身が大きく成長できたということ。そして、何よりも子どもたちの成長した姿、具体的には自分たちで解決しようとする姿が本当にすごかったです。何かトラブルがあった際に、場合によって援助要請をしながらも自分で解決しようとする姿が多くありました。

 合唱コンクールの際には最終的に私はノータッチで、「先生教えてください」というスタイルではなくて、自分たちでミーティングをしながら「ここを○○しよう」とか言いながらチャレンジする姿がありました。

子どもとともに私も成長できたのは、失敗や出来ないことをさらけ出してきたからだったのかなと感じています。(そのときは精一杯で意図的ではありませんでしたが笑)

無能なほどリーダーに向いている?

「無能なほどリーダーに向いているかも」先日のセルフサイエンスクラス「共感力を活用したリーダーシップ」の対話のなかで、出てきた言葉です。私自身、心に残った言葉で前述の教師時代の思い出ともリンクしました。

 無能というと、なんだか良い印象受けないかもしれませんが、言い換えればまさに「完璧である必要はない」「出来ないことや苦手なことは受け入れてさらけだす」だと感じました。完璧であらねばならないという強迫観念は、出来ないことまでやろうとする→失敗する→自己嫌悪、もしかしたら失敗を隠す?という流れになることも最悪あるかもしれません。ですが、出来ないことや苦手なことはオープンにする。すると、そこは部下や周りの人が自らサポートしてくれることが多くあるという実際の体験談を聞いて、妙に納得しました。得意なことは得意。苦手なことは苦手。そこを自分で認識しつつ、自分らしさを発揮していくことで、その人らしいリーダーが完成すると思います。なので、リーダーというのは、誰にでもなり得るしそれぞれの自分らしいスタイルを誇っていいと感じました。

親はそのときそのときのベストを尽くしている

 「親はそのときそのときのベストを尽くしている」この言葉も、以前特別クラスでシナプススクールの教員であるケイコさんがある、参加者に言った言葉です。

 ある参加者が「今、EQを学んできて色々なことが分かったりしたけど、もっと子どもが小さい時に分かっていれば…後悔しています…」といった旨の話をした際に、この言葉がありました。きっと、全世界の親御さんは、「もっとああしとけば」「こんな育て方をしていれば・・・」とか一度は考えたり、思ったりして時に自信を失ったり、自己嫌悪に陥ったりしたのではないのでしょうか?ですが、この言葉にある通り、その時その時で悩んだりもしながら、ベストを尽くして子育てをしていたことは確かだと思います。そして、その姿勢や想い、感情は伝播して伝わっているはずです。

 完璧な子育てを常にしなきゃいけないのではなくて、ベストを尽くしている今の姿勢が大切だし、過去のその姿も必ず成長に繋がっている、子どもに伝わっていると感じました。

完璧よりも自分らしく

 色々な立場で振り返ってきましたが、共通するのは完璧であろうとしなくて大丈夫ということです。完璧よりも、自分らしさを追究することでもっと楽になるのかなと感じています。自分らしさを発揮するには、自分を知ることが大切です。EQの基本でありますが、この辺りは自分も常に追究しつつ、現場で子どもたちにも広げていきたいと思います。

 

 

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