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世の中の問題には2種類ある、と知る

ずっとどこか曖昧だったりモヤモヤしていた部分を、ハッと気づかせてくれて明快に整理されるような、そんな本と最近出会いました。DAIJOUBUでmawaryに教えてもらった、ちきりんさんの『自分の意見で生きていこう』。皆さんにとってはすでに当たり前、と思われることも多いかもしれませんが、今日はこの本を読んで感じたことを少し書かせてください。

問題には2種類

本ではいくつかとても重要なポイントがありましたが、私がまずはっとさせられたのは、そもそもの基本として

世の中には正解のある問題と、正解のない問題の2種類がある

ということ。
私はこれまでこれを明確に意識してこなかったように思います。

正解のある問題とは、数学や日本の人口は何人、といったような問題。正解のない問題は転職したほうが良いか、子どもをどの学校に行かせるのが良いか、といった問題。
ここで考えさせられるのは、世の中にはこの2種類の問題があるのに、多くの人がしばしば後者のような正解のない問題にも正解があるように思ってしまっていることです。
例えば転職するにあたっても経験者の意見やネットの情報、専門家の話等に正解を探そうとする。正解のない問題だからいくら探したり聞いたりしても明確な正解など見つかるはずがないのですが、でもそれを探していつまでもどうしよう、こうしよう、と悩んでしまうのです。(私も結構覚えがあって、例えば渡英前、子どもを海外の現地校にいかせるか、日本人学校に行かせるかでなかなか決められず、散々人に意見を聞きまわっていました)。

ちきりんさんも書かれていましたが、これは教育や文化的な影響も大きいのではと思います。
学校の中心となっているテストや受験勉強となればいつも正解があったことは言うまでもありませんし、先生や親の言うことは正しい、という雰囲気や、「みんなと同じが良い」という同調圧力もあって、周囲の空気を読む(暗黙の正解を探す)癖もついてしまっているかもしれません。
よくDAIJOUBUでも話題になりますが、例えば道徳の授業ですらなんとなく模範解答があることを小学生でも察していて、私も当時はそんな模範解答で答えていたのを覚えています。みんな仲良くする、仲間外れはいけない、「明るく、元気」が良い・・・。

そんな影響もあってなのか、いつもどこか自分の外側に正解があるような気がしてしまっているのかもしれません。

自分で解を出す

言い古された表現ですが、今は「先行きの不透明な時代」。見方を変えれば、それぞれの個性が輝くポテンシャルを秘めた時代、ともいえるのかもしれません。

このような時代にまず必要となることは、まずそもそも自分の抱えている問題が正解のある問題なのかそうでないのかを認識すること、そして正解のない問題には自分自身で答えを出していかなくてはならない、または「自分で決めていい!」、と認識することからではないかと思います。
そうしなければ、いつまでも正解のない問題の正解を求めてフラフラしたり、他者の意見に頼ったりすがったりして生きる他人軸の人生になってしまうかもしれません。

慣れていないと自分で答えを出すことは勇気がいるものです。
でも、そもそも正解がないのですから間違いもないわけで、自分なりに考え、その時ベストな解を出せば、それがその時の自分の正解。過程では周囲の意見を聴きつつも、最終的に自分で自分の解を出せば、もうあとは他者にそれが正しいかどうかを決められる必要はないのですよね。

随分前にDAIJOUBUのクラスである方が人生の変化の時を振り返って、「できるかできないか、人に決められるなんて嫌だと思った」という発言をされていましたが、その言葉をしみじみ思い返してしまいました。

対話で自分の考えを研ぎ澄ます

DAIJOUBUのコラムでも以前、さきちひろ先生も自分で決めることの大切さを書いていました。
私もやっぱりそこに行きついてしまいます。

ではどうやって自分の意見を持ち、自分で決められるようになるのでしょうか。
(※ちきりんさんはまず自分でしっかり考えることが不可欠として、本にも詳しい方法が紹介されていますので、ご興味あれば是非ご一読ください)。

具体的な方法の一つとして、私が最近とても大事だと感じているのは”対話”で、特にDAIJOUBUの対話の場、Tea Timeはとても貴重な時間だと思っています。
Tea Timeはいつもテーマに基づいて、気軽に対話をしています。テーマは様々ですが、多くはいつも何気なく使っている言葉(「ちゃんと」「頑張る」など)や、当たり前と思っている事柄(通知表、テストなど)にフォーカスを当て、それを改めて考えなおしてみる機会になっています。
そんな身近なことを改めて考えてみると、いつの間にか自分に刷り込まれている考えがあったことに気づいたり、ほかの人から新たな視点をいただいたり、反対意見から改めて自分の考えを吟味できたりして、自分自身の意見を明確に言葉にできるようになっていきます。

私自身もTea TimeやDAIJOUBUメンバーとの対話で、ずいぶん自分自身の考えが整理され、明確になった部分があると感じています。
ぼんやりしていた考えを言語化することは、自分をまた一つ明確に知ることであり、これで良いのだ、と(傲慢ではない)心地よい自信を持って自分自身であれることだな、と思います。もちろん、意見や考えはその時の環境や新たな経験によって、変化していく部分もたくさんあります。でもその時、その時に自分自身の立ち位置(意見)を知っておくこと、そしてそれに基づいてその時、その時に決めていくこと、その積み重ねが自分の人生を送っていくことになるのだと、思います。

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