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「不登校」という言葉の違和感

 「不登校」という言葉、今までは何の違和感もなく聞いたり、使ったりしていました。ですが最近、「アメリカにはそもそも不登校という言葉自体がなかった。」といった話をアレンジャーズのまわりーから聞いたり、改めて教員時代の経験を思い返すと、この「不登校」という言葉にとても違和感をもつようになりました。

違和感の正体はネガティブ

 その違和感が何かを考えたとき、一言で表すとそれは「ネガティブ」でした。「不登校=学校にいけない人」というイメージや捉え方が色濃く、どうしてもそこにはネガティブなイメージがつきまといます。私が今まで関わってきた「不登校」と呼ばれる子どもたちも「学校に行けない自分はダメだ・・・」思っている様子があったり、親御さんも自分たちの育て方がいけないのか・・・と感じているパターンが多かったです。「学校って普通は行くよね」という価値観が良い、悪いという話ではなくて、多様性と言いつつ、実はその価値観しか認められていないような空気感があって、それは自分も含めて多くの人の中の深いところにはその価値観が根付いているのかなと感じました。だからこそ、不登校が多い自治体の教育委員会はそれを問題視するでしょうし、現場は何とかそれを減らそうと頑張るだろうし・・・そんな中、不登校の当事者の人たちは自己肯定感が下がっていくだろうなと感じました。そして「そもそも不登校ってそんなネガティブなことなのか?」と自分自身問い直すことができました。

「学校に行けない」じゃなくて「学校に行かないことを選択した」

 自分の経験を振り返ったりアレンジャーズの皆さんと話たりするなかで、「不登校」について考えたとき、「不登校=学校に行けない」じゃなくて「不登校=学校に行かないことを選択した」ということだと自分の中で腑に落ちました。もちろん、学校という場所にはかけがえのない経験や成長があります。私自身も中学校教員の経験があるので、中学校3年間で様々な人と関わり様々な経験をして様々な感情が湧き上がるなかで、本当に大きく成長する姿を幾度も見てきました。なので、「学校は行った方がいい」という価値観を否定する気は毛頭ありません。ですが、この価値観しか無いというか、他の価値観が認められているようで実は認められていないというところが、「不登校=学校に行けない人」というネガティブなイメージに繋がっていると思いました。「学校は行った方がいい」という価値観もありつつ、中にはその学校が「ただ、合わないだけ」の人もいるわけです。その人たちは「学校に行かないことを選択した」わけで、「学校以外で学ぶのもありだよね」という価値観を世間がもっと認めていくことが大切だと感じました。また、学校によって、もっと言えばそのクラスや担任によってその文化や空気感が全然違ったりもするので、学校やクラスが変わったら「学校に行く」という選択をするということもあると思います。

学校の意義や学びというところについては、また長くなるのでそこは別の機会に・・・

まずは、近くの大人が受け入れること。

 もし、子どもが学校に行かないことを選択したら・・・まずは、近くの大人がそれを受け入れることが大切だと思います。それは両親、もしくは先生なのかもしれません。そうは言っても。いざ自分の子どもや教え子がそれを打ち明けたら、そう簡単に受け入れられるか分からないと思うのではないでしょうか。私も同じです(笑)。頭では分かってはいても・・・本当に学校行かずに成長するのか?甘えているだけじゃないか?・・・色んな想いが駆け巡ると思います。

 まず、本当に学校に行かずに成長するのか⁉特に他者との関わりといったところは非常に不安に思うのかなと思います。あくまで一例ですが、ホームスクーリングを選択したという話を聞いた時、他者との関わりという面で心配をされたそうですが、学校以外の場で異年齢の子どもたちと接することでむしろそのような力がとても伸びたという話を聞きました。また、私自身が関わってきた子どもらの中には、冷蔵庫の中にあるものでパッと料理を作ることができて、母親の体調が優れないときに、夕飯の準備等全てを自ら行ったり、分量を計算しながら買ってきた食材でお菓子をつくったり…自立してそれだけのことができることに驚いたことがありました。そして自分自身の進路選択をするなかで、とある高校へ行きたいという思いから最後の1年の2学期からは「中間教室(校内にあって集団に馴染めない子どもが学習する場所)に通って勉強する」という選択を自らして、見事に目標達成をしました。

 学校に行っていなくても成長した人や活躍している人は多くいるわけで、「学校に行ったら成長するけど、行かなくても成長はする」ということが分かると受け入れやすくなるかもしれません。

 また、甘えじゃないのか・・・と思うことも多いにあるかもしれませんし、そんなパターンもあるかもしれません。なので、まずは、本人の選択を受け入れつつも、「なぜ、そう思うのか?もっとほかの選択肢があるとすれば?・・・」等色々と話をしていくことで、もしかしたら「学校に行きたいけど、やむを得ず行かない選択をした」かもしれないし、ほんとうにただの甘えというパターンもあるでしょう。そんな時こそ、大人が本人が手助けをして本人が一番納得できる選択ができればと思います。

学校以外の居場所づくり

 学校に行かないことを選択したところで、学んだりする場所が家庭一択で選択肢が他に無いというところで悩む人が多いというのを、私自身も教員時代に実感しました。学校か家庭の二択ではなくて、地域にも居場所があり、三位一体となって地域で子どもたちを育てるという世の中になればな・・・・と思います。そんな環境づくりの助けに少しでもなれるように私自身も活動していきたいです。

 

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