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あるがままの自己受容が自己肯定感を高める

加齢とともに避けられない身体の変化。

自分の『今』をどのように受け入れてあげれば良いか…自分自身と向き合う時間が与えられています。

今回は、先日4月28日に78歳で亡くなられた星野富弘さんの生き方を取り上げてみたいと思います。

四肢まひで手足の自由を失いながらも、口にくわえた筆で創作を続けた星野富弘さん。
東村(現みどり市)で生まれ、自然の草花を水彩画で描き、生き方などへの思いを詩で表現する
スタイルで半世紀にわたり活動されました。

あるがままの自分を受け入れる

星野富弘さんは、大学卒業後体育の教師として高崎市内の中学校に赴任しました。

そのわずか2ヶ月あまりの後、放課後クラブ活動の指導中に誤って首の骨を折り、肩から下の機能の
全てを失いました。

その後、口に筆をくわえ、詩と絵を描きながら、希望をもって生き抜く姿を手記『愛、深き淵より。』におさめられています。

他の詩画集、対談でも、星野さんの心や思考の変化が表されています。

『・・あるとき、ふと気づいた。動けない人間が、なぜ動けないことを恥じるのだろうか。
 そう考えたら、今まで自分をがんじがらめにしていた鎖が、フッと解けた気がした。』

健全な身体から、180度違う身体になったことで、最も印象深かったのが、
《あるがままの自分を受け入れる》という《受容》という姿勢です。

自分をそのままに受け入れ、この時に何が可能なのかを深く考察し、可能なことのみを実行に移す。
この考察により、多くの可能性が残っていたことに対し、誰にも劣らない喜びと幸せが存在することを発見
したのです。
自己受容することで得られた、《自分だからできること》これが自己肯定感に続くプロセス
だったのです。

星野富弘さんの作品には、答えがない

星野さんの詩の一部をご紹介します。

『辛いという字がある。もう少しで、幸せになれそうな字である』

『よろこびが集ったよりも
 悲しみが集ったほうがしあわせに近いような気がする
 強いものが集ったよりも
 弱いものが集った方が真実に近いような気がする
 しあわせが集ったよりも
 ふしあわせが集った方が愛に近いような気がする』

『いのちが一番大切だと思っていたころ生きるのが苦しかった
 いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった』

『悲しいときに悲しめる心を持っている。あふれ出る涙がある。何と言う慰めだろうか』

星野さんの詩には、答えがありません。

読み手側が、自分の内側に働きかけることにより、自分なりの答えを見つけていかれるのも新たな
発見の時です。

星野さんは、事故のあと自己受容するまでに、様々な感情に翻弄されたと語られています。
自分の内側に溢れた感情を一つひとつ取り出して大切に労わることが自己受容の第一歩なのかも
しれません。

自分の感情に対して使うエネルギーを知る

自分を受け入れることが難しい時に沸き起こる感情にはどんなものがあるでしょうか…
自分の内側を探索してみると、表面に表れにくかった小さな感情が眠っているかもしれません。
一つひとつの感情を丁寧に救い出しながら、自分がその感情に費やしているエネルギーを知ることも
大切です。

私は、息子の受験期間で、息子を心配することが母としての愛情だと思っていましたが、
そこで使っていた私のエネルギーは、恐れや不安で、とてつもなく疲れてしまいました。

ですから、感情に対して使うエネルギーを自分で知っておくことも自己受容だと思うのです。

人生、色々なことがありますが、その都度どれだけ自分が心地よくなれるかを感じながら楽しみたい
ものです!

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