生活の中にちょびっと「瞑想」を取り入れて感じた、少し楽になる感覚

以前、セルフサイエンスの特別クラスで智子さんの「マインドフルネス」の回を受けてから、生活の中に少しずつ「瞑想」を取り入れてます。私の場合、「毎日この時間に必ず30分!」とかは少しプレッシャー…というのと、座りながらもちょっと苦手だな…というので、朝の散歩の際に行う「歩行瞑想」、入浴の際にちょっと瞑想、寝るときに呼吸に意識を向けて瞑想。と日々の必ず行っている行動の中に瞑想を取り入れて継続しやすいようにしました。数ヶ月継続して感じたのは、「楽になる感覚」を日々の生活の中で実感したり、そこに自分をもってくることができるようになった気がしたので、その辺りを紹介たいと思います。
そもそもなぜ、「瞑想」?
そもそも、なぜ、瞑想なのかというところなのですが、きっかけはDAIJOUBUのbookclubでえばちゃんが取り上げてくれて、おすすめ書籍でも紹介させて頂いた「反応しない練習」を読んだのがきっかけです。その本を読んで、仏教の考え方ってEQであり、セルフサイエンスじゃん!と感じて瞑想にも興味をもちました。世間的にも、瞑想、マインドフルネスというワードが飛び交って流行っているといったことは認知していたのですが、ここで興味を持ち始め、智子さんにもちょうど特別クラスを実施していただき始めて瞑想に触れました。
私自身、不安などの負の感情に飲み込まれそうになる…支配されがちなときがある…というのを特に今年は多くの環境の変化もあった中で感じていました。また、性格というか、思考のクセみたいな部分でときに不安になりがち…という部分もあるので、そういった部分を日々の生活の中で取り入れられそうなアクションで改善したいきたいといったことも興味をもったきっかけでした。
具体的に日々、私がどのように瞑想を生活に取り入れて行っているのかを本当にシンプルなやり方なのですが紹介します。
まず、朝ですが、10分~15分程度の散歩を行っているので(最後の400mくらいジョギングし始めました。短いですが。)その中で、とにかく足の感覚。私の場合は骨盤の関節が動いて、それ連動して背骨が動いて、肩も動いて…みたいなそれぞれの感覚を意識しています。あとは、鼻を通る空気の感覚や、風が肌を触れる感覚に意識を向けて歩きます。
そして、ずっとその感覚に意識を向け続けることはできなくて、気づいたら仕事のことを考えたりといったことがあるので、頭の中にそれがでてきたら「思考」と頭の中で呟いて、また感覚に意識を向けます。これは、特別クラスで智子さんに教わったことです。
入浴時は、「ふぅ~」と湯船に使ったときに、呼吸は入浴剤の香りなどに意識を向けて、同じように頭の中になにか別の考えごとがでてきたら「思考」と呟いてまた感覚に意識を向けます。
そして、最後に睡眠時ですが、睡眠時はそこで座って行うのではなく、布団に入った状態で一番楽な姿勢で目をつぶって、自分の呼吸に意識を向けます。そして、同じようようになにか別の考えがでてきたら「思考」といってまた感覚に意識を向けます。気づいたら寝ています。
前提、このやり方が正しいのかどうかとか細かいところは分からないのですが、まず、自分自身が毎日継続しやすい方法として、このように日々の生活の行動の中に入れ組んで、試して見ています。
日々の生活の中で「思考」に支配されて負の感情に支配されている瞬間に気づけるように
さて、そんな瞑想を日々行ってみて、数ヶ月どんな変化があったか。一番は、日々の生活の中で自分が「思考」に支配されている瞬間に気づける事が増えました。そして、だいたい、思考に支配されているときが不安などの負の感情に支配されているときなのですが、そんな自分を客観視して、その「思考」を取り除いたり、違う捉え方に変換したりをしながら、負の感情が弱まっていく感覚、支配されずに戻ってくる感覚を得る回数が増えました。
人って日々、無意識に頭の中で色んなつぶやきをしているらしく、一説には1日に何万回ものつぶやきをしているらしいです。そのつぶやきの中には「こうなったらどうしよう」とか「あの人に悪く思われてしまったかな」とか「絶対怒ってるにちがいない」諸々あると思います。「反応しない練習」での言葉をおかりすると、まさに「妄想」や「判断」で溢れているわけです。例えば、他者からの反応など、以外と無意識に自分のなかで「こう返してくれるだろう」等々勝手に判断をしていることが実は結構あったりします。そして、それが思っていたのと違ったときに、自分の中の反応として、「なんか怒っているのかな…何か迷惑かけたかな…」とそこから妄想が膨らみ、不安が大きくなったり。もしかしたら、「なんだあの態度は!」と怒りになるのかもしれません。
瞑想を実践してみると、「自分の感覚に意識を向ける」→「思考がでてきて、それに気づいたら、また自分の感覚に意識を向ける」を繰り返すことで、思考に気付くという感覚が研ぎ澄まされる気がします。そして、その思考している自分に気付くというのは、自分自身を客観視できる、メタ認知できるということでもあります。
この感覚が少し鋭くなってからは、なんか負の感情に覆われたときに、自分自身の「思考」に気付き、「あぁ~自身、思考に支配されているなぁ~」となってから、その思考がそもそも、自分が勝手に思っている「妄想」なのか、それとも自分が勝手にしている「判断」なのか等々ラベリングした上で、客観的に「事実」と自分の「思考や解釈」を整理できることで、負の感情に支配されそうなところを、踏みとどまって、「大丈夫」な感覚になる回数が少しずつ増えたと感じます。
コンプレックスも「妄想」や「判断」大切なのは「ベーシックグッドネス」
瞑想をしながら、思考に気付き、それぞれの思考を「妄想」や「判断」とラベリングしていくと、コンプレックスも自分自身で勝手にしている「判断」だったり、思考の中の「妄想」から生まれているものなんじゃないかと感じました。もちろん、私にもコンプレックスはあるのですが、とある日、ある方と雑談しているなかで「○○なのがコンプレックス」と聞いたときに、私からすれば、全くそんなことは気にしていないどころが、想像もしていなかったというか…正直なんとも思っていないことを本人は気にしているのだなと思いました。そして、コンプレックスは基本的に自分と他者を比較した時のその差分に対して、「自分は○○が足りない、ダメだ」と勝手に自分が「判断」しているのだと改めて感じ、私自身が、コンプレックスと感じることもまさに他者と比較して、勝手に自分で判断していることだなと認識しました。
「ベーシックグッドネス」これも智子さんから聞いた、瞑想で出会ったという素敵な言葉です。「私たちは十分に足りていて、十分に良い」という意味の言葉だそうです。
無意識に、他者と比べがちな社会や世の中ではあるのですが、そうなったときの自分に気付き、余計な「思考」を手放してこの「ベーシックグッドネス」を大切にしていきたいと改めて思えたことも、瞑想を通して、自分が得ることができた楽になる感覚でした。引き続き瞑想を生活に取り入れていきながら、自分の大丈夫感や心の中の余白を広げていきたいと感じました。

金融機関での勤務や9年間の公立中学校教師生活を経て
現在は放課後等デイサービスで学習指導やSSTを行う
自分自身も、子どもたちも「自分らしく生きて幸せに」というモットーのもと
教育に携わっています