1. HOME
  2. ブログ
  3. 立ち止まることで得られたAHA!ギフト

立ち止まることで得られたAHA!ギフト

新型コロナの感染症法上の位置付けが、5類に移行しましたが、その感染力の強さは衰えず、
ついにコロナに罹患してしまいました。初めて体感する様々な症状に戸惑いながらも、
母として、保育士として、みんなに迷惑がかかる…という立場に対するあらゆる思いを払拭し、
自分に与えられた休憩時間として、思い切って立ち止まってみました。

あたりまえだと感じていたことがあたりまえではなかった

コロナになって、今まで味わったことない症状が表れ、特に一番厳しかったのが、
嗅覚と味覚が分からなくなるという事態でした。嗅覚と味覚を感じなくなると、
食事が非常に苦痛になり、あたりまえだと感じていたことが機能しなくなった時に、
人は様々なことに気付かされることを思いました。

翌週、味覚を感じ始めましたが、今までとは違う、甘い!しょっぱい!酸っぱい!苦い!
という、とにかくとんがった味覚を感じるようになりました。
何かが足りない…そうです旨味部分が全く感じられなかったのです。

梅干しでも、しょっぱさ、酸っぱさがあっても旨味が存在するから美味しいのであって、
トータルバランスである旨味の存在がいかに必要であるかを感じました。
それと同時に、食事をする際の自分の感情が味覚にも影響があるのではないかと考えていたところ、
料理長が分子栄養学を学び、食医になられた方のコラムを思い出しました。

それは、料理を作る時、味が大切なのは誰もがわかっていることですが、食べる人の感情を意識して、
料理の味を変えたことはありますか?という問いから始まります。

その方が行った研究結果では、全く同じ味付けの料理でも、幸せの状態で食べた場合は、
《香りがいい》《甘味がある》と感じる人がほとんどで、心地よくない状態で食べた場合は、
《苦い》《渋い》と感じる人が多いというものでした。
これは、その時の感情によって、脳に伝わる味覚が変化する良い例だとありました。

このことから、食事は大切な時間でありますが、料理を作る時に家族一人ひとりの感情までを考慮して作ることにAHA!でした。さらに感情は、人が生きるプロセスで、絶対に切り離すことができない存在であることを
感じました。

その後、嗅覚・味覚が正常に機能し始め、きゅうりがこんなに美味しい!という感動をおぼえ、
日常生活のあたりまえの中に、たくさんの感謝があることに気付かされました。

※〜日本料理人が分子栄養学を学んで、【食医】になるまで〜
『人の感情の違いによる味の変化』のコラム記事を参考にさせていただきました。

人は何かの目的の為に生かされている

これは、妊婦だった時にも感じたことですが、生きている状態の元を辿ると
自分の力ではどうにもならない領域があるということです。
自分の意思と力で、仕事や勉強をしたりしますが、そうした表面的な話ではなく、命に関わる、
もっと根本的な部分では、自分の意思とは違う部分で、事が行われているのです。

心臓も自分の力で動かしているわけではなく、皮膚の新陳代謝も、自分の意思とは関係なく行われ、
食事で食べたものも、胃や腸などによって、勝手に消化し吸収されます。
眠っているときは呼吸しますが、自分で意識をしているわけではなく、命に関わるような重大なこと
ほど、自分の意思とは別のところで行われているのです。

今回のコロナでは、目に見えないウィルスが体内に入り、自分ではどうすることもできず、
ただ回復する日を待つのみ。この間に、体内の中では命を守る為に、様々なアクションが
繰り広げられ、日にちが経つにつれ、ダウンしていた各器官が少しずつ整えられ、
やがて回復していく。
こうしたプロセスから、人は自分で生きているのではなく、生かされていることを感じました。
しかも、人にはその人にしかできないギフトが与えられており、何かの目的のために、
生かされている!これは一人ひとりの存在価値を証明するものであり、AHA!でした。

〇〇がないではなく、〇〇があるに繋がるセルフサイエンス

コロナになったことで一番最初に沸き起こった感情は、不安でした。
不安の感情は、次の不安を呼び起こし、心地よくないループが始まるのです。
なぜこのループに陥るのか、不安の感情の根源を辿ってみました。
まず、出来事に対して『こうなるかもしれない』という予測から入っているということ。
出来事に対する経験、体験をしたことがないことから、脳にデータがなく、自分で次の不安を
作り出していたのです。

私が不安に取り囲まれている中、時を同じくして子どももコロナにかかりました。
子どもたちは、40度近い熱が出たにも関わらず、私と正反対の反応をしていました。
【元気になったら〇〇ができる!】子どもたちは、しっかりと自分が望む方向を見定めていたのです。

「本当に望む方向(もの)を見ているのか」それとも「うっかり望まない方向(もの)を見ているのか」
それを瞬間的に簡単に判断できる方法は、自分の感情に気づいてあげること。
心地よくない刺激に対しては、自分の感情を大切にしながら、反応していくことで、
その先の行動が変わってくることがAHA!でした。

どこかで思い切って立ち止まることは、決して時間のムダではなく、色々なことに気付かされる
貴重な時だと思いました。
改めて、自分の感情を大切にしながら、日常生活を楽しみたいと思います。

関連記事

NEW articles

最新情報はこちらから