「不安」を飼いならし、しなやかな楽観性を手に入れる

私たちは日々、形のない不安に襲われることがあります。仕事のプレッシャー、人間関係の悩み、あるいは将来への漠然とした恐怖。「不安を感じてはいけない」「常にポジティブでいなければ」と思えば思うほど、その感情は重くのしかかり、心に余裕がなくなっていくものです。
しかし、不安という感情そのものは、決して「悪」ではありません。むしろ、私たちが生き残るために備わった大切なセンサーであり、リスクを回避するための防衛本能でもあります。大切なのは、不安をゼロにすることではなく、その感情に支配されないための「バランス感覚」を持つことです。
今回は、私が実践している「出来事を正しく認識する技術」と「身体からのアプローチ」を通じて、不安な状況下でも良い意味での楽観性を発揮する方法についてお伝えします
「事実」と「妄想」を切り分ける:反応しないための整理術
不安が大きく膨れ上がり、自分自身が飲み込まれそうになっているとき、私たちの脳内では何が起きているのでしょうか。多くの場合、実際に起きている「事実」よりも、まだ見ぬ未来に対する「妄想」が肥大化しています。
ブッダの教えを現代的に説いた名著『反応しない練習』でも言及されていますが、大切なのは「出来事を正しく認識する」ことです。
具体的には、今感じている不安のうち、どこまでが「現時点で確定している事実」で、どこからが「自分の頭が作り出した想像(妄想)」なのかを冷徹に整理します。例えば、「上司に少し厳しい口調で指摘された」のは事実ですが、「自分はもうこの会社でやっていけないのではないか」「周囲からも無能だと思われているに違いない」というのは、現時点では根拠のない妄想に過ぎません。
妄想には際限がありません。放っておけばどこまでも膨らみ、私たちを不安の渦へと引きずり込みます。「あ、今自分は妄想をして勝手に不安を作り出しているな」と客観的に認知するだけで、感情の荒波から一歩引いた視点を持つことができるようになります。
10年後の自分から今を眺める:メタ認知による楽観性の獲得
それでも心がざわつくときは、時間軸を大きく動かしてみるのが効果的です。
今、この瞬間に感じている「耐えがたいほどの辛さ」や「底知れぬ不安」を、10年後の未来の自分が振り返ったとしたら、どう感じるでしょうか。
これまでの人生を思い出してみてください。かつて「もうダメだ」と絶望した出来事や、夜も眠れないほど悩んだ問題が、今となっては「そうは言っても、なんとかなったな」「あの経験があったからこそ、今の自分がある」と、穏やかな気持ちで振り返れるようになっているはずです。
「この不安も、ずっと続くわけではない。いつか必ず過去の笑い話、あるいは貴重な経験値に変わる」
そう確信することで、視点は自然と高くなります。現在の状況を俯瞰するメタ認知の視点を持つことで、過度な悲観にブレーキをかけ、「まぁ、大丈夫でしょう」というしなやかな楽観性が生まれるのです。
身体を整え、脳を「楽観モード」にチューニングする
思考の癖を直そうとしても、心がつかれているときにはどうしてもネガティブなループから抜け出せないことがあります。そんな時、私は無理に心を変えようとするのではなく、「身体のコンディション」を整えることから始めます。
身体と心は、私たちが想像する以上に密接に繋がっています。特に運動が抑うつ効果を高め、メンタルを安定させることは科学的にも証明されています。私自身、近所の森や川辺を朝に散歩することを習慣にしてから、明らかに脳のコンディションが変わったのを実感しています。
以前の自分であれば、プレッシャーに押しつぶされていたような場面でも、今は「不安はあるけれど、なんとかなるだろう」という良い塩梅の楽観性を保てるようになりました。それは精神修行の結果というよりも、睡眠を確保し、運動によって脳を「適切な思考ができる状態」にチューニングした結果であると感じています。
「不安の9割は実際には起こらない」という有名な説がありますが、実際、私たちが取り越し苦労に費やすエネルギーの大半は、現実には形になりません。
不安な感情があるからこそ、私たちは準備をし、リスクに対処できます。その役割を終えたなら、あとは「やるべきことを粛々とやったのだから、なんとかなる」とどんと構えていればよいのです。
不安を排除しようと躍起になるのではなく、事実を見つめ、未来を俯瞰し、そして何より身体を健やかに保つこと。その積み重ねの先に、どんな状況下でも自分を失わない「しなやかな楽観性」が宿るのだと信じています。

金融機関での勤務や9年間の公立中学校教師生活を経て
現在は放課後等デイサービスで学習指導やSSTを行う
自分自身も、子どもたちも「自分らしく生きて幸せに」というモットーのもと
教育に携わっています