1. HOME
  2. ブログ
  3. 自分のために立ち上がる――変革型EQの1つの形

自分のために立ち上がる――変革型EQの1つの形

2020年にこのDAIJOUBUが発足したとき、私は自分の中の「怒りの感情を活用して」いました。それに気づいたのはほんの数年前の定期クラスの中でのワークでのこと。DAIJOUBUは、子どもたちにだいじょうぶな場所をつくろう、そのためには大丈夫な大人が増えなければ、と大人向けのクラスを軸足にしたオンラインの、EQに根差した居場所であるわけですが、誰もピリピリしていない、全然大丈夫じゃないことを共有しても誰もジャッジせずに聞いてくれるこの誰にとっても大丈夫な場所の、発足の原動力が「怒り」——。

今日は、「感情の活用」「変革型EQ」「過去の自分を抱きしめる」をキーワードに、書いていきます。

怒りの感情をエネルギーにDAIJOUBUが誕生する前の、忘れ去られていた感情たち

怒りとこだわり、あるいは執着には共通点があって、それは11月に久しぶりに担当するセルフサイエンスクラスで皆さんと探索できればと思っていますが、当時私の怒りは「ほんもののEQが体感できる場所をつくる」「EQはもっとやさしくて、自由なものだ」という強くまっすぐな意思と姿勢、エネルギーに形を変えて、ひろちゃん、さおりさん、智子さん、まんぼさんに声をかけ、5人で、誰も上にも下にもいない何かを生み出したくて、本当にゼロから立ち上げました。

私は感情の力を使って次のステップを大きく踏みだしたわけで、そこからのストーリーはみんなで、みんなが大丈夫なペースで、信頼関係を真ん中にして進んできたので心地よく思い出せるものだったのですが、すっかり忘れていたことがありました。発足に至るまでの、怒りの感情の活動に至るまでの、苦くてしんどかったプロセスです。この夏仕事を通じてアメリカ在住の日本人の女性にEQコーチセッションを行う機会があり、そのたった60分のセッションの中で彼女の言葉と世界を通じて、当時のことを久しぶりに手に取るように鮮やかに思い出しました。不意の出来事でした。そのあとじっくり時間をかけて、怒り、悔しさ、憤り、もやもや、、、たまねぎの皮をむいていくように自分にEQワーク・セルフサイエンスワークをやって向き合っていくと、最後に出てきたのは「わかってほしかった」「聴いてほしかった」という大きな悲しみでした。

思い出して、手のひらに置いて眺める・・それでは終わらなかった

思い出してしまったので、そこから数週間、あるいは数か月、そうかそうか、そうだったそうだった、といろいろなことが蘇ってきました。苦くて、やってられない、どうしようもない、どうせどうせ・・・感情たちの塊は数珠のようにつながって、というか、色の違うぷよぷよがただただつながって積み重なっているような感じで、次から次へと出てきます。しばらくはとりあえず、感情が出てきたらキャッチをして、手のひらに置いて眺めるように、ふむふむ、そうかそうか、とやっていました。痛みの根っこまで遡るように見ていくのはルンルンした楽しいものではなかったです。トラウマが蘇る感覚もあって、反射反応的な「やだ!」という気持ちも出てきましたし、「うわ~無理だな~」というねっとりした感情も出てきました。

認識したら手放す、は簡単にいくわけでもなく、じと~ねと~っという昔の蘇ってきた感情たちがまとわりついた感じで仕事をしたり、親としてのあれこれをしたりして、日々を生きていました。傷があることに気付くのが1歩、何による傷かわかるのはとても大事な大きな進歩。でもそれで勝手に癒えて終わるわけではありませんでした――。

そんな頃に、仕事で私が責任者を務めているプログラムで、他チームとの連携について自分のチームのメンバーが悩みをこぼすことが増えてきました。私たちらしく、こまめに相談し合いながら真心とフレンドリーさで仕事をコツコツしていたのですが、週に何度も長文で送られてくる質問に我がチームへの苦言のようなちくちくした文章、少々見てはいられなくなってきました。物理的・仕事的な目だと、明らかに私たちの共有した資料にちゃんと目を通していない、だから同じ質問を何度もしてくる、苦言を呈してくるけれど、おそらく仕事の量が多すぎてこのプログラムを勉強する時間がない、などなど箇条書きで課題は思い浮かびましたが、私は同時に、DAIJOUBU発足前の過去の出来事を思い出していました。

「わかってもらえない」「聴いてもらえない」「私は自分の信じる仕事を全力でやりたいだけなのに」———

変革型EQは、人権に根差したEQ——

心を込めてやっていることに妨げが入るのは、なかなか苦しいもの。瞑想をして、まろやかにして、ヨガをして、すっきりさせて、DAIJOUBUの定期クラスでみんなと話して、心を自分のところに戻して――と日ごろから自分のセルフサイエンスを支えるいろんなツールに助けられていることに感謝をしつつ、それでもやっぱりなんだか難しい。自分のチームメンバーが困っているのも苦しいし、プログラム全体を俯瞰してもうまく回っていないのは明らかだし、思い出した過去の出来事が頭から離れず心はざわざわする。——これは何かを変えないといけない。

私は、心と頭をできるだけ一つにして、
『このプログラムに誇りと情熱を持っていること・何を共有しても聴いてもらえていない感じがぬぐえず、関係構築と発展のためのコミュニケーションに協力してもらえていないように思うこと・対等にコラボレーションをするためのもう一歩の努力(送った資料にまずしっかり目を通して理解をする努力をするとか――)をしてほしいこと・情熱を持っているからもっとのびのびと意義ある仕事をしたいのに、聴いてもらえていないという感情がその妨げになっていてすごく悲しいこと』をはっきりと伝えました。

私なりの、変革型EQの実践です。「思ってもいいけど言うな、うまくやれ」とアドバイスをくれた人もいましたが、それは従来型EQであり、権力の乱用、社会不正義を温存するためのEQです。そこに人権などありません。どんな立場の人も、声を聴かれる権利があります。私は、階層構造を維持し、自己責任に帰結しがちな従来型EQとは決別すると決めて、人権と社会正義に根差した変革型EQの実践に挑戦しています。

直後にはリアクションが返ってきたり、罵声を浴びせられたり(そらそうだろと思う読者さんもおられるかと思います・・・笑)、少し凸凹した日々でしたが、その後の出張でその当事者と会って話して関係を近づけたり、その後のコミュニケーションにかなりポジティブな変化が見られていて、数か月経ったいま、勇気を出して共有できたことを本当に良かったと思っています。

自分のために立ち上がったことで、過去の自分が癒えた

この出来事の直後、凸凹した日々の中でも、明らかだったことがありました。それは、過去の自分が、自分に「ありがとう」と言ってくれた気がしたこと。すっかり、ということでもないですが、自分の中で塊になっていた難しい感情たちが一気にほぐれたのを確信しました。

私のミッションは「全員が聴かれる場所をつくる」。それをDAIJOUBUでも、いまの仕事でも体現しているのに、自分の声を聴いてもらうためのアドボケイト、立ち上がるという行動が、今までできていなかった。文化や、場の力学が作用するような場所では、例えば声を上げるとわがままとか、失礼だとか、場をわきまえろ・立場をわきまえろと、言われることがありますよね。立ち上がることが簡単じゃないことはものすごくよくわかります。でもまずは、自分が過去に傷ついた(あるいは今でも傷ついている)出来事に気付く、そのときの自分に会いに行く、というのをトライするのはどうでしょう?いや、でも、タイミングは人それぞれにちょうどいいときに訪れるだろうから、もしこれを読んでいただいているみなさんがいつか、過去の自分の傷と向き合う時が来たら、このコラムを思い出していただけたらなぁと思います。

11月のセルフサイエンスクラス、「執着」というテーマで久しぶりに担当します。クラスでぜひお目にかかれますように!

DAIJOUBUのプログラムとは

EQスタイル診断を受けてみる

定期クラスのお申し込みはこちら

関連記事

NEW articles

最新情報はこちらから