言葉で人と人が繋がっていく
私は、もともと人前で話しをするのが得意ではなく、あとから『もっとこう言えば良かった』と感じることが
多々あります。
《どう》伝えるかが先行してしまい、
《何》が言語化されていないことがあります。大切な《何》を伝えるか…
コミュニケーションでは、話し方・聞き方のHow(どのようにするか)が重要視されますが、
このHowが活きるのは、伝えたい内容が整っている場合のみであることに気付かされました。
自分との対話で自分で感じる
言葉にできないと自分が分からない、行動がぶれる。何がしたかったのか、行きたかった場所はここなのか、
この努力は自分を幸せにするのかはっきりしなくなる。だから目的先を見失ってしまう。
もしかしたら、思いや考えが言葉に出るのではなく、この気持ちをどういう言葉なら伝えられるかを考えるうちに、
思いや考えが整えられていくのかもしれません。
特に日本人は、幼いうちから、『今どんな気持ち⁈』の問いに不慣れなため、感情語が乏しいと言われています。
明確に分かりやすい感情と、心の奥底に溜め込んでしまった感情、自分から掘り起こしにいかないと見つけられない感情もあります。
一日に何度も立ち止まり、自分の今を自身との対話で感じ、大切にしていく。
このプロセスの流れで必要な言葉が見つかり、この言葉が自分自身を表すものになっていくのだと思います。
ある意味人生は、自分を表す言葉を探す旅なのかもしれません。
校則だからではなく、言葉で《なぜ》を伝える
息子の高校で、新学期が始まる前に、学年だよりが届きました。校長先生からの文面もあり、以下抜粋です。
『夏休みスタイルを一新し、学期の始まりにふさわしい『身だしなみ』(頭髪や身なり・服装)で各自再点検して登校してください。『身だしなみ』とは相手や場所に対するマナーです。自分らしさを表現するものではありません。』
新学期における、よくあるあるな内容ですが、校則だからという一括りではなく、
《なぜ》を言葉で伝えていることに、思わず惹かれました。
大切なこととする物事に対して、どれだけ《なぜ》を伝えられているか?
決め事という一括りで圧力をかけるのではなく、言葉を介して物事を伝えていくことの大切さを感じました。
児童養護施設の職員を経て、子どもの関わりにEQの領域が必須であることを実感。
現在、学童保育にEQプログラムを導入し、子ども達とワクワク感を体感中です。
すべての人が、 心から【だいじょうぶ】だと思える世界をつくりたいと願い、活動中です。