子どもたちからの問いかけ
日々子どもたちとの実践の中で、毎回思うことがあります。子どもたちから投げかけられる問いについて、私たち大人はどのように受け止めているだろうか、と。
私は現在、演劇共育のクラスと、とあるアフタースクールで、日々子どもたちとドラマ(演劇)教育の実践で関わっています。様々なバックグラウンドを持って子どもたちと日々接する中で、いつも感じているのは、子どもたちの素直な感情から発せられる問いかけに対して、私たち大人がどれだけ真正面から受け止めて、レスポンスしているだろうか、ということです。
誰しも子ども時代というのはあるわけですが、子どもたちから自然と生まれた問いというのは、純粋に感じた事、疑問に思ったことが発せられるわけです。そんな問いに対して、大人の事情や勝手な解釈で歪曲してしまったりしていないだろうかと、そう思う瞬間がいくつもあります。子どもたちからの問いに対して、どうやったら子どもたち自身で思考するレスポンスをする事が出来るのか?
答えを簡単に教え諭すことは簡単です。これまでの教育の根幹は、インプット型の、教えられたことをそのまま記憶していくものでした。あれ?なぜ?どうして?といったような疑問は、「そういうものだから」という一言で片づけられていたように思います。本来は、そのプロセスにこそ学びの本質があるというのに、即効型を求めがちになります。その大半が、「時間がない」という言葉で片づけ、思考する瞬間や機会を奪っています。
教える、と導く、の違い
思考するためにはどうやっていった良いのか?そこは単純に答えを明示して教え諭すことではなく、子どもたちに思考するような投げかけをこちら側から意図的に導いていく、そのプロセスを大切にしていくということではないかと考えています。
即効で解決を求めるのではなく、思考のプロセスに重きを置く
情報技術の利便性が高まった故に、ワンクリック、ワンプッシュで、簡単に情報を収集することが可能な時代においては、全ての事において、合理的かつ生産性が高いクイックレスポンスを期待しがちになりますが、それは同時に子どもたちの思考する機会を奪っているとも言えます。技術革新の発展を否定しているわけではありませんが、大切なことは、学問も仕事も、全ては様々な課題を抱えながらも、自らの力で問いを立て、探究し、思考するプロセスを大切にしていくことではないか、と思うのです。それは放任された子どもたちで自然と出来るわけではなく、私たち大人が、意識的にそう導いていくことが何より肝要である、と改めて感じる日々です。私が思う大人とは、教師だけでなく、親たちも含めてです。自分たちの不安感情をそのまま発する前に、子どもたちと同じ方向を見ながら、自ら思考し、導いていくことこそ、これからの時代に必要不可欠ではないか、と思います。
その為に、ぜひEQ/SELの学びをもっと浸透させていきたい、と強く願う日々です。
生きる力をつくる・はぐくむをコンセプトとした
Art-Lovingというアートカンパニーで、演劇創作と演劇共育を中心とした教育事業に勤しむ。
舞台演出家・演劇共育実践家・ラジオパーソナリティ(FM軽井沢)として活動中。